2014-01-01から1年間の記事一覧
信心が定まると、本願念仏の教えでは、往生の心配はもはや要らぬこと。往生は阿弥陀仏の仕事であって、私が心配する余地は全くない。たとえ、その間に悪事を犯したとしても、阿弥陀仏の本願を仰げば、阿弥陀仏の力によって、自ずとこころの改まることもある…
本願念仏は「報恩感謝」に尽きるのであろうか。 第十四章にいうように、「この悲願ましまさずば、かかるあさましき罪人、いかでか生死を解脱すべき」と思って、深い謝念を覚えるのはいうまでもない。しかし、念仏は阿弥陀仏が私においてはたらく姿なのである…
親鸞の権威!これこそが、親鸞がもっとも怖れていた同朋集団の陥穽である。親鸞がなぜ関東から離れて京都へ戻ってきたのか、研究者は種々の理由をあげているが、そのなかの一つに、「人師」とは師匠、指導者のことだが、「人師」崇拝とは、人々が師匠に対し…
「念仏大意」では、およそ次のようにのべている。 われわれは、このたびはじめて人間に生れたのではない。「世々生々」、つまりはるかな昔から現代を経て、はるかな未来にわたる長い生命のサイクルのなかで、幾度となく生れ変わり死に変わりをしてきた。そし…
『煩悩に眼(まなこ)さえられて 攝取の光明みざれども 大悲ものうきことなくて つねにわが身を照らすなり』 「忙しい、イソガシイ、いそがしい、々、々……」と振るまう我が姿を、絞り出す様に いのちの限りを挙げて『摂取!セッシュ!せっしゅ!々々々……』と…
蓮如上人のお言葉を集めた『蓮如上人御一代聞書』(一九三)に、 いかに不審なりとも、聴聞を心に入れまうさば、御慈悲にて候ふあひだ、信をうべきなり。ただ仏法は聴聞にきはまることなり (『註釈版聖典』一二九二頁) とあります。 不信の人も仏法の聴聞…
お盆になると、都会に住んでいる多くの人々が故郷へ里帰りし、日本民族の大移動が見られます。慌ただしい雑踏の都会から離れ、久しぶりに戻った故郷の山や川は、昔の懐かしい日々を思い出させてくれ、また一時の心の安らぎを与えてくれます。さらに親・兄弟…
夏期休暇に入り、マジックグッズの整理をすることにしました。 あまりの商品の多さに、お目当てのレクチャーDVDをどこに置いたのか分からなくなってしまいました。数々のマジックグッズは、3部屋に分散して保管している状況です。 もはや、マジック愛好家で…
プロマジシャンのマジックをみて、 不思議現象に、なんで?なんで?の連発です。 しかし、そこには、綿密な仕掛けが施されています。 「なんか、タネ(仕掛け)はあるのだろうな?」 ということは分かりますが、推測の域を超えません。 阿弥陀仏のお救いも、…
私は この海で まいにち 小舟を漕いでいます ゆく先はわからぬが わからなくて よいのです 【煩悩林 榎本 栄一 難波別院 P151より】 阿弥陀さまのお慈悲のまま なんの力みもなく、まかせきっている生活が目に浮かびます 我々は、南無阿弥陀仏のおはたらきの…
ジョギングを始めました。 田んぼ周り約30分のコースです。 阿弥陀さまと差しで対話できる貴重な時間にもなりました。 ありがたいことです。 なまんだぶ なまんだぶ
2013年の日本人の平均寿命は男性80.21歳、女性86.61歳で、男性が初めて80歳を超えたことが31日、厚生労働省の調査で分かった。女性も4年ぶりに過去最高を更新した。 【時事通信より】 (平均)寿命が寿命無量になりました。 平均寿命のニュースは、あまり…
われらが往生は、ゆめゆめわが身の善き・悪しきにはより候まじ(中略)。ただ仏の願力を信じ信ぜぬにぞより候べき。 (「正如房へつかわす御文」、『定本・法然上人全集』第七巻、九六頁。表記を変える) 要は、その本人が、本願念仏を信じて念仏するかどう…
こころのなかの 井戸を こつこつと 掘り下げて行ったら 底から 阿弥陀仏が 出てきた 【詩集 群生海 P49 「井戸」 榎本 栄一 難波別院 より】 『南無阿弥陀仏のおはたらき(お慈悲)の中で生かされている私であることに気付かせて頂き、「南無阿弥陀仏」と私…
真珠貝は 海の中で 何かコロコロするような 果物を抱いたまま 今は それを 除きたいともおもわず 生きている 【詩集 群生海P8 「真珠貝」 榎本 栄一 難波別院 より】 榎本 栄一(えのもと えいいち) 1903年(明治36) 徳島県に生まれる 1907年(明治40) 大…
この地図は逆さまです。違和感を覚えます。 しかし、南半球の人からみれば、ごく当たり前の世界地図です。 視点によって、受け取り方がまったく違います。 物事を客観的にみる目を養いたいものです。 いままで気付かなかった発見があるかもしれません。 南無…
およそ信仰の心は物事を受身に感ずる心である。われわれのこの「生」をも何ものかから受けたものとして意識する。文字通りに「生まれた」のである。生まれんと欲してうまれたのではない。われわれの血液の運行も、心臓の鼓動も、胃腸の消化もわれわれの意志…
一つとや 光かかげて往く人の み跡を仰いで参ります。々。 二つとや 不思議のわが身を賜わりて お慈悲の中を遊びます。々。 三つとや 水ももらさぬご本願 この身このまま救われて。々。 四つとや 喜ぶこころを当にすな 当になるのはお勅命。々。 五つとや い…
阿弥陀さまは 「南無阿弥陀仏と称えよ」と呼び覚まします わたしは 「南無阿弥陀仏」と応えます ボタンの掛け違いは見た目も変です。 ボタンの掛け違い 【意義素】 意見や物事が互いに一致しない様子を示す表現 【類語】 不一致 ・ 食い違い ・ 齟齬 ・ 相違…
「ただ南無阿弥陀仏と申して疑ひなく往生するぞと思ひとる」という事は、これはそう出来さえすればなるべく別の仔細はない事であるが、そう思いとることが普通の心境では出来ないわけである。 つまり阿弥陀という仏が実在していると思えなければ、それを恃(…
今ここでお浄土について一言述べておきたいことがあります。私たち現代人は科学的にものを考えるように教育されてきました。だから、ある意味では科学的思考に慣らされています。私たち一人ひとりがお浄土を受け取らせて頂くことが難しい理由の一つです。 こ…
今日もなもあみだぶつ わたしに力強く響きます お返しに なもあみだぶつととなえます おうむ‐がえし 1 他人の言ったとおりに言い返すこと。「―に答える」 2 和歌の詠み方の一。相手から詠みかけられた歌の一部だけを変えて、 別の趣向で返歌すること。 3 …
実は、逆に、願われているひと、です 自分中心のひと、ともいえましょう いやはや 『わたし』は、一体どこにいったのでしょうか?
「ダルマを名詞ではなく、動詞と考える」 なるほどですね〜 dharma 音節dhar • ma発音dɑ'ːrmə [名][U]ヒンズー教仏教 1 法,(宇宙・人間などの)本体,本性. 2 教法[戒律](に従うこと). 3 正しい行い;徳. 4 仏教;仏陀(ぶっだ)の教え. 【goo辞書より】
素直になろうがなるまいが そんなの関係ない 小島よしお ならぬ ただ念仏(だけで)よし お である
あの人のためでも この人のためでも ありません 『このわたしのため』のご法義です
阿弥陀さまの 「必ず救うぞ!」の呼びかけに 「どうもありがとう!」と応えさせていただくだけ ただおまかせあるのみ あくまでも、わたしは受け手です
お父さんと呼ぼうが、 パパと呼ぼうが ダディと呼ぼうが みな、オヤジ(同じ)である 「なもあみだぶつ」も 「なむあみだぶつも」も 「なまんだぶ」も どう発音しようが同じお念仏である。 いずれにせよ 「報恩感謝のお念仏」を称えさせて頂きたいものである…
「南無阿弥陀仏」と声をだしてお念仏をとなえさせて頂くことが大事である それは、自分だけでなく周りの家族の仏縁にもなるからである 「なまんだぶ」と大きく声をだして、お念仏をとなえさせていただきましょう
引いて簡単に開く扉を、一生懸命押し続けても、扉は開かない 扉を押すか引くかは大違いである 当然、結果も大違いである