手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

信心肝要

 浄土真宗は煩悩は捨てなくてもいいんですけれど、はからいは捨てねばなりません。如来さまのお救いに対する疑い心をすっかり捨てることです。
 そういうわけで、大きな如来さまのいのちの海に浮いている私たちの人生でございます。お浄土に生まれた人は必ず現世に帰ってきます。現世とお浄土との如来さまのいのちの還流があるんです。そのいのちの還流の上に我々の人生は乗っているんですね。それにはっきり乗ったことをご信心というんです。如来さまを信じたということです。疑っている人はそれに乗っていないんです。いや、乗っているんだけれども気づかないでいる、そういってもいいんですね。如来の大生命還流の外にある生きものは一つもいないわけですから、みんな乗っているんだけれど、信心がなくて一生終わる人は、阿弥陀さまのおすくいの中にあったということを知らないで終わってしまうのでありましょう。ところが、そうだったのか、ありがたいなということをいのちある間にわからせてもらったら、その人はもう助かったということです。
 それではわからないで死んだ人はどこへ行くんですか、と詮索する人がいますけれど、それは仏法が自分自身の問題となっていないからでありましょう。往生は他人事ではなく、めいめいの問題です。
【なぜ名が救いか 大峯 顕 著 百華苑 P69~P71より】
※タイトル「信心肝要」は、この文章の内容から勝手につけさせていただきました。



大峯師の文章は、詩的で映像が目に浮かびます。また、宇宙的視点を感じます。
「如来の大生命還流」という表現いいですね。いつも、ウンウンと頷きながら、共感させて頂いています。