手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

未来永劫の親切 (あなたの後生はいかがですか?)

 下野(しもずけ)の国に、上田郷左衛門という侍があった。この人は夫婦ともに真宗の信仰家であって、他力廻向のご信心を頂いて、明け暮れ、念仏を喜んでおられた人である。
 ところが、その隣に禅宗のお寺があって、このお寺の和尚様と至極懇意にして、兄弟のごとく交際をし、生花、茶の湯の遊びから、歌、俳句、碁、将棋など、互いに行ったり来たりして、お付き合いしておられた。
 ある時、郷左衛門の奥様が、主人に向って言い張るに、あなたはお隣の和尚さんと懇意にしていますが、あの和尚様は後生のことは何と決定しておられるか、少しはお尋ねあそばしたことがございますか、と尋ねられました。主人が申されるには、先方は宗旨の違う禅宗なので、その宗の規則に従い、さとりを開く見込みをつけておられるであろう、そんなことは、向うは向うの宗旨のこと、他宗のお方へそのようなことを尋ねるのは、返って無礼じゃ、と申されました。
 奥様が申されるには、それは旦那様の不親切でございます。僅か5丁か3丁かの道連れでさえ、互いに行く先を尋ねるのが人情、しかるに兄弟も及ばぬ程のご懇意の間柄において、後生の行き先をただの一度も訪ねて見ないというのは、あまりにも不親切ではありませんか、と申されました・・・・・・。
                    (中略)
 今日でいえば、一駅か二駅か汽車の乗り合いでも、行く先を尋ねるのが心やすい間柄の人情、しかるにお互いの家庭でも、30年も50年も、同じ家の中で寝起きをする親子兄弟夫婦でありながら、ただの一度も後生の行く先を尋ねないというのは、不親切不人情ではありませんか・・・・・・。
どうですか、皆さんのご家庭では互いにお尋ねになりますか。
                    (中略)
 親も問わねば子も尋ねぬというのは、短いこの世では温かいご親切じゃが、長い後生へかけたら、まことに冷たい、不親切極まる日暮しではありませんか。この世では温かいご家庭でも、未来へかけたら氷のようなお付き合いではありませんか。そこから考えてみると、懇切にするお方へは、後生の落ち付き場を尋ねてみるのが、未来永劫の親切かと考えます。
【信疑決判 木村徹量 大八木興文堂 P54~P58 より】 ※一部、口語調に改編


本当の温かい家族とは、この世だけの家族に止まらず、未来永劫の家族となることですね。
時機をみては、
『あなたの後生はいかがですか?』と、問うていきたいと思います〜