手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

聞法

 法話のテープを聞くことも、仏書を読むことも、み法の話合いをすることもすべて聞法です。このように聞法は、場所や時間を限らず、いつでもどこでも誰とでも可能なのです。
 法座では、「仏教や真宗についてどんなことをどのように尋ねたらよいのかわかりません。ですから、ただお話を聞かせていただくばかりです」という声を聞くことがあります。ただ一方的に教義についてのお話しを聞くだけで終わらず、自分自身の生活そのものを、「本願に問う」という姿勢が大切です。自分自身が、いまかかえている問題、自分が生きている現代社会が当面している問題を、本願に問い聞いていくことがすなわち聞法です。
 聞法のことを聴聞ともいいます。〈聴〉という字の意味は「こちらから聞くこと」〈聞〉とは「向こうから聞こえてくること」です。私たちはともすれば、積極的、主体的に問い聞いていくという〈聴〉の姿勢に欠けていたことを改めていくことが大切です。
【寺と教団  中央仏教学院 通信教育三年次学習課程 テキストP152,P153より】



蓮如上人は、
「仏法について語りあう場では、すすんでものをいいなさい。黙りこんで一言もいわないものは何を考えているかわからず恐ろしい。信心を得たものも得ていないものも、ともかくものをいいなさい。そうすれば、心の奥で思っていることもよくわかるし、また、間違って受けとめたことも人に直してもらえる。だから、すすんでものをいいなさい」と仰せになりました。 
【御一代聞書書(八六)】