手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

川にそって岸がある


【タイトル】セーヌ川の川岸(1887年)  【画家】フィンセント・ファン・ゴッホ


 淀川が大阪を流れていて淀川の岸が東京にあるなんて、そんなバカなことはありません。川に沿って岸があるのです。川と岸は離れていないのです。同じように、私に沿って阿弥陀如来の本願があるのです。実は、本願念仏にこめられたお浄土の岸(彼岸)は、われら常没流転の人生(此岸)と離ればなれではありませんでした。
 特にいつまでも埒(らち)のあかない私にそって、いつまでも浮き草生活にもがきながら喘(あえ)いでいる私にそって、「若不生者不取正覚」のご本願は「南無阿弥陀仏」のお喚び声となって、現にはたらいてくださるのでした。
 川は驚くほど、変化に富んでいます。速い川もあれば遅い流れもあります。澄んだ水もあればどんより濁った水もあります。硬い岩石に川底をうがつ流れもあれば、柔らかい堆積物を侵食して流れるものもあります。実のところ二つと同じ川は無いのです。
 その千差万別なる一つひとつの川が、川として存在するには、そこを流れる水があり流れを支える川岸があるからです。もしも水が流れていなかったら川ではありません。もしも川岸の支えがなかったら川は存在しません。
 常没流転の現実ゆえに阿弥陀如来のお慈悲がはたらきたもうのです。「南無阿弥陀仏」のぬくもりがないならば、苦悩を場として生きる私が「如来の子」として生きる意味を失うのです。
 親鸞聖人は


私は太陽ではありませんが、太陽のぬくもりはこの身いっぱいにいただいております。さあ!ご同朋よ、ごいっしょに暖まりましょう――


と横に横に「南無阿弥陀仏」のぬくもりを伝えてくださいました。
【みんなの法話1 本願寺出版 川にそって岸がある 鈴木 善隆(布教使)P246〜P249より抜粋】


東井義雄(とういよしお/ぎゆう)
1912年(明治45年)4月9日―1991年(平成3年))は、日本の教育者、浄土真宗僧侶。 兵庫県豊岡の浄土真宗の東光寺に生まれる。1932年(昭和7年)に姫路師範学校を卒業した。小学校教師として奉職、多くの著作を著す。ペスタロッチ賞、正力松太郎賞、平和文化賞、小砂丘忠義賞、文部省教育功労賞受賞。東光寺住職。
ウィキペディアより



川と川岸の喩え、非常にわかりやすいですね。
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏