手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

偉くなっても駄目

 

どんなに仏教の教えを学んで、知識が豊富になっても、阿弥陀如来の明るい眼(南無阿弥陀仏のはたらき)とめぐりあわなければ、すべて空しいことである。阿弥陀如来の広大な心に文句なしに頭が下がって、初めて明るい人生が歩めるのだとうなずいて、生涯その道を歩むならば、その人の人生は素晴らしいものになるであろう。

【現代語訳   蓮如上人御一代記聞書  高松信英  法蔵館   ●11  偉くなっても駄目  P19より】

 

 確かに、偉くなるのもよいかもしれません。人から感謝されることは生きる糧にもなるでしょう。優越感にも浸れるでしょう。しかしながら、たとえ、偉くなったとしても続かないのが人の世界です。続いたとしても、死をもって完結します。

 偉い人もそうでない人も、「南無阿弥陀仏のはたらきに気付く」ことなしに本当の幸せはありません。ここでは、「偉くなっても駄目」と駄目(ダメ)出ししています。親父ギャグが冴えたところで結びといたします(笑)。

おかげさまで 今日も 南無阿弥陀仏