手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

浄土往生の人生

 

明応二年の元旦に、ご挨拶にやってきた勧修寺の道徳に対して、蓮如さまは、「道徳よ、そなたは、もう数えることも忘れているかもしれないが、いったい、歳は幾つになったのか。人生を空しく過ごしてはならない。道徳よ、本当の念仏を称えなさい。常識的にみんなが称えている念仏は、一所懸命にできるだけ多く南無阿弥陀仏と称えて、その力で阿弥陀さまが私を救って下さるであろう、と信じて称えるのである。阿弥陀如来の明るい目の働き(他力)である本当の念仏は、阿弥陀如来の明るい眼に頭が下がったとき、思いもかけなかった素晴らしい人生が開かれる、という働きなのだ。その体験後のお念仏は、こんな素晴らしい世界があったのか、喜び一杯で称えるお礼の念仏であって、南無阿弥陀仏と称えて、なんとかしようとするのではない。だから昔から使われている、他力という言葉の意味は、他(阿弥陀さまの眼)の働き、ということである。この南無阿弥陀仏と一生共に生きる明るい人生こそ、浄土往生の人生というのである」と教えられた。

【現代語訳 蓮如上人御一代記聞書 高松信英 法蔵館 P12( 1  お前の歳は幾つだ?)より】

 

南無阿弥陀仏のはたらきに気付かされている人生は、まさしく「浄土往生の人生」です。「南無阿弥陀仏」を振りかざして、阿弥陀さまに助けを求めるのは大間違いです。「南無阿弥陀仏」はあくまでもお礼のお言葉です。本当のお念仏(阿弥陀さま、助けて下さってありがとう!)を称えたい、ものです。

おかげさまで 今日も 南無阿弥陀仏