手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

南無阿弥陀仏のはたらきに気付かされている人

 

阿弥陀如来の、はてしの無い、大慈悲(絶対愛)のお呼び声、南無阿弥陀仏に、出会うことが出来、釈迦と弥陀の二尊の、おんこころのままに、いただくことができ、貪欲(とんよく)の波や瞋恚(しんに)の炎が、どんなに強くても、「おはずかしい」とは思っても、白い道に乗っている力丈夫(ちからじょうぶ)に安心のこわれること無く、称(とな)える念仏でその事を思い出し、この世の縁が終わった時がお浄土に生まれる時で、阿弥陀如来にも、じかにお目に掛り、私を、お導き下さった方々、だれにでも自由に出合い、又、人世の時、泣いた事も笑った事も、くやんだ事も、みんな、そのわけが、はっきりして、先に死んだ親にも子にも孫にも、今は知ることの出来ぬもっと以前の人達とも出合って、喜びは、つきることの無い境遇になり、若しも関係者の中で、お浄土に生れることの出来なかった人が有れば、まっ先にその人を救うことも、やすやすと出来る能力も得られるのであります他の宗教のように、神の僕(しもべ)になるのではなく、最高の仏陀に、私がなるのであります。

【二河白道讃話 榎本晃承 百華苑 P58、P59より】

 

「白い道に乗っている」つまり、「南無阿弥陀仏のはたらきに気付かされている人」ということですね。南無阿弥陀仏の人は、この世の寿命を終えると、ここで書かれている(青字部分)ようなことができる、といわれています。なんか今から楽しみです~。

おかげさまで 今日も 南無阿弥陀仏

 

寺宝(善巧寺):二河白道(銅版画・作者不詳)

【浄土真宗本願寺派 善巧寺 ホームページより】

 

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