手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

返って混乱を招くことも・・・

 

 意外なほど青年や壮年が入信する、いわゆる新宗教でも、仏教の言葉をはっきりと使っています。実際にオウム真理教などはチベット密教とかキリスト教といったもののいろいろな言葉を交えて、自家薬籠中に仏教の言葉を使います。例えば、「解脱」とか「出家」、「沙門」とか「布施」といったこれらの言葉は仏教の専門用語であり、それをああいう新興宗教では頻繁に用いているのですが、若い人たちはそれになびいています。もちろん、それには一つのカリスマ的な作用ということも関係するでしょうけれども、若い人たちが多く入信していることは確かです。

 ですから、たとえ言葉を現代的な表現に変えたからといって、教えが広まるかどうかという事は、疑問だと思うのです。むしろ仏教の専門用語を明確に言って、正しい現代的な表現でそれを説明していくということが大切なのではないかと思います。入り込みやすく、聞きやすくということを考えると、初めての方たちに対してあまり専門的な仏教用語を使うのは、やはりそれが支障になるということは事実としてあると思います。

【『領解文』のこころ 高田慈昭 著 永田文昌堂 P70P 71より】

 

 親鸞聖人や蓮如上人の時代で使われていた言葉を、わかりやすい現代語で表現することは、とてもありがたいです。但し、「間違った解釈」や「返って分かりにくい表現」になってしまえば本末転倒です。

 ここにもありますように、「むしろ仏教の専門用語を明確に言って、正しい現代的な表現でそれを説明していくということが大切なのではないか」という著者の意見に賛成です。

 おかげさまで 今日も 南無阿弥陀仏