手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

他力(阿弥陀仏の力)

 

聖道門を捨てて浄土門に帰すという親鸞の宗教体験は、言葉を換えていうと、親鸞は、初めはこの世界で悟りを開こうとしていたわけです。釈尊以降この世界で仏に成ったものは一人もいないとはいえ、やはり比叡山の天台宗の教えでは、基本的にこの世界で仏に成ることを目指すわけです。親鸞は初めはそういう道を歩んでいました。しかしその道に破れて、阿弥陀仏の浄土に生まれて悟りを開くという道に転換しました。さらに阿弥陀仏の浄土に生まれて悟りを開くという中においても、自分の力を役立たせて阿弥陀仏の浄土に生まれていこうという道から、今度は百パーセント阿弥陀仏の力によって浄土に生まれていこうという道に転換した、とこう考えられます。

【阿弥陀仏と浄土 内藤知康 法蔵館 P80より】  

 

「他力」といえば親鸞聖人。親鸞聖人といえば「他力」です。(他力の)誤用は、御用だ!御用だ!と取り締まられますよ(笑)。100% 他力(阿弥陀仏の力)ということは、「阿弥陀さまに、ただおまかせ」ということです。ですので、私(自分)の思惑や計らいは無意味です。

おかげさまで 今日も 南無阿弥陀仏

 

他力とは

「他力本願(たりきほんがん)」という言葉は、浄土真宗において、教えの根幹に関わる最も重要な言葉です。浄土真宗の宗祖である親鸞聖人がいわれた「他力」とは、自然や社会の恩恵のことではなく、もちろん他人の力をあてにすることでもありません。また、世間一般でいう、人間関係の上での自らの力や、他の力という意味でもありません。「他力」とは、そのいずれをも超えた、広大無辺な阿弥陀如来の力を表す言葉です。

【浄土真宗本願寺派 円寿寺 ホームページより】

https://enjuji.jp/about_jodoshinsyu/shinranshonin/