火事と自ら気付いて逃げ出す人もあり 。火事と知らされて 、逃げ出す人もある 。火事だと呼ばれても 、火の付いた家に気付かず 、寝ている赤子もいる 。平気で寝ている赤子を 、抱きかかえて逃げ出すよりほかには助かる道はない 。吾々は何と云われても火の付いた世界 、火宅無常の世界と聞かされても 、それを本当に気付かない 。平気で暮らしているこの私に 、阿弥陀さんが私にとび込んで来て下され 、私を抱きかかえて下さる 、其の御姿が 、今現にこの口に聞こえてくださる 。南無阿弥陀仏
【松並松五郎念佛語録 響流選書 より】
「我称え われ聞くなれど 南無阿弥陀仏 連れて往くぞの 親のよび声」(原口針水)という詩と重なります。南無阿弥陀仏には、はたらきがあります。単なる6文字でありません。阿弥陀さまの五劫の思惟と兆載永劫という修行から生まれた願行具足の南無阿弥陀仏なのです。阿弥陀さまのいのちが込められているといってよいでしょう。
おかげさまで 今日も 南無阿弥陀仏