救いということは、如来さまのおおせを「まこと」と受け容れて、「おおせのとおりにお浄土へ生まれさせていただきます、ありがとうございます」と念仏を申し、少しずつ自分の心がけを教えに順って、軌道修正していくことを言うのでしょう。如来さまのおおせがまことであると疑いなく受け容れる信心は、一瞬にして開けます。その教えが、生活の上に反映して行動を改めていくということになりますと、時間がかかります。先に、親鸞聖人の『御消息』のお話をしたときにも申しあげましたが、「ようよう少しずつ」と言われたように、少しずつ変革が進んでいくわけです。急激にぱっと変わるわけではありません。少しずつですね。
【平等への視座-対談・歴史的課題と教団- 梯實圓・上山大峻 P104より】
ここでは、「阿弥陀さまの救いに出遇った」つまり、「南無阿弥陀仏のはたらきに気付かされた」後の生活について述べられています。私生活において、徐々ではあるが変革が進む、と教えていただきました。どういう変革かといいますと「浄土真宗の教えが生活上に反映して行動を改めていく」とあります。「少しずつ変革が進む」梯實圓 師も実感されてのお言葉ですね。
おかげさまで 今日も 南無阿弥陀仏