手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

宗教生活(ひとり歩むという道に立たされる生活)

ある意味で、自分の生き方に不安を感じないということは、そのままもう人間として心を見失っているということでもあるでしょう。ですから宗教、信仰生活というのは、不安がなくなって、矢でも鉄砲でも何でも持ってこいというようになるわけではないのです。宗教生活というのは、ひとり歩むという道に立たされることです。ふたりしてわたるわけにいかない、ふたりならんでわたることもできない。そういう道にたたされることが宗教生活です。ですから、楽になりたいのなら宗教なんか持つものではないのです。楽になりたいのなら、三猿の心が一番いいのです。見ざる、言わざる、聞かざるという、三猿主義の生活をしているほうが楽なのです。
 【〝このことひとつ〟という歩み 唯信鈔に聞く 宮城 顗 法蔵館 P84より】

 

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 確かに、私が不死身であれば、三猿主義の生活をしているほうが楽です。しかしながら、そうはいきません。遅かれ早かれ、死んでいかねばならない現実があります。つまり、一人ひとり生死問題を抱えているということです。

 蓮如上人はこのようにいわれました。
「往生は一人一人のしのぎなり」(蓮如上人御一代記聞書172条)と。つまり、「往生とは一人ひとりが責任ある生き方をして解決していくもの」ということです。あくまでも私自身の問題です。
おかげさまで 今日も 南無阿弥陀仏

 

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