手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

「南無阿弥陀仏」という灯火(ともしび)

私たちは 「生けるもの 」を生きた存在として感じるとき 、内なる愛をもってそれに接する 。だが 、愛が失われた目で世界を見るとき 、「生けるもの 」は生命なきもの 、すなわち 「止まっているもの 」であるかのように映る 、というのです 。このことは 、「言葉 」を対象にしたとき 、もっとも顕著に感じられるのではないでしょうか 。あるとき 、文字は単なる記号に過ぎません 。しかし 、そこに 「いのち 」を感じるとき 、それは私たちの心に火を灯すものにもなるのです 。
【NHK 100分 de 名著 西田幾太郎 「善の研究」2019年10月テキストより】

 

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「南無阿弥陀仏」という言葉を単なる記号やお呪いと捉えるか、阿弥陀さまのはたらきと受けとるかでは雲泥の差です。
この文章の後半部分を借りていいますと、
「南無阿弥陀仏」という言葉に、(私が)いのちの温もりを感じるとき、(私の)心に火が灯ります。その灯火は永遠に消えることはありません。
おかげさまで 今日も 南無阿弥陀仏

 

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