手品師

浄土真宗の信心を中心に綴ります

如来が作られた言葉

    最近、とりわけ、「言葉に拘り」をもってあれこれ考えている私です。この地球上で、言葉を使って生活しているのは人間だけです。そこに注目すると、やはり、人として生まれ、生きていることに深い意味を感じます。
   『南無阿弥陀仏は、如来が作られた言葉』といわれた大峯顕 師の言葉に共感します。また、大峯師が生前強調して話されていた「言葉が語る」という言い回しはとても印象に残っていますし、実感しています。言葉は単なる記号なんかではありません。(言葉には)はたらきがあります。日常生活を営む上で、その(言葉の)はたらきの感受性を養うことはとても大事なことではないでしょうか。読書でいえば、「行間を読む」ということでしょうか。
   南無阿弥陀仏も然り。「南無阿弥陀仏」は単なる6文字ではありません。はたらきがあります。そのはたらきに気付かされることはこの上ないよろこびであります。人として生まれてきて本当によかった、と実感できるのでした。
おかげさまで 今日も 南無阿弥陀仏

 

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『南無阿弥陀仏は、如来が作られた言葉』 大峯 顕miko415.hatenablog.com