手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

「仏教の生活化」と「生活の仏教化」の違い

 『維摩経』という大乗経典に、「高原の陸地には蓮華を生せず、卑湿の淤泥に乃ち此の葉を生ず」という喩えがある。煩悩にまみれた日常生活の中にこそ仏法の花が開くのだ、という意味である。私は、大学で仏教を少し学んだころ、「どうやったら仏教を日常生活に活かすことができるのか」と考えていた。それで機会あるごとに自分が学んだことをできるだけ優しい言葉で話そうと努力していたが、結局は「それはよかったですね」という反応以上のものに出会うことはなかった。大学の教室では、学生からあからさまな拒否の反応を受けることも多かった。そんなある時、先輩の先生から「仏教の生活化と生活の仏教化は同じか違うか?」という問いを受けた。私はそのとき、その先生の言いたいことがよくわからなかったが、先生は「前者はほとけさんの仕事、後者は人間の仕事」だと言われた
 今では、先の『維摩経』の喩えは、まさしく生活の仏教化を意味していると思っている。
【暮らしの中に仏教を見つける 小田顕祐 法蔵館 P96より】

 

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「仏教の生活化は、ほとけさんの仕事」「生活の仏教化は、人間の仕事」
⇒なるほどなあ~、と思いました。
「阿弥陀さま」と「南無阿弥陀仏のはたらきを知らされた人」による「南無阿弥陀仏」のご教化です。いずれにしましても、阿弥陀さまの南無阿弥陀仏のはたらきです。この(手品師)ブログが、「生活の仏教化」の一助となればうれしいです。
おかげさまで 今日も 南無阿弥陀仏

 

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