手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

「仏教を学ぶ」と「仏教に学ぶ」の違い

   一般的に言う「仏教学ぶ」というのは、自分が仏教の勉強をして物知りになっていくことです。「仏教学ぶ」は、字面の通り、学ぶことの目的が仏教であるということです。では、「仏教学ぶ」は仏教に何を学ぶのでしょうか。
 私たちは、日常生活の中で鏡を見ます。朝起きて、歯を磨くときに鏡を見て、服を着るときにも見て、出かける前にももう一回くらい見ます。もっと見る人もいるでしょう。一日に一度も鏡を見ない人は、そうはいないでしょう。私たちは何度も鏡を見ますが、この鏡は丸いなとか、この鏡は四角いなとか、そういうことを見ているのでしょうか。「鏡を見る」と言いますが、見ているのは鏡そのものではなくて、そこに映った自分の顔です。私たちが毎日しているのは「鏡映る自分の顔を見ている」のです。知りたいのは自分であって、鏡は映れば何でもいいのです。ですから、正しい意味では、「鏡自分を見る」です。
【暮らしの中に仏教を見つける 織田顕祐 法蔵館 P39,P40より】

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「仏教学ぶ」と「仏教学ぶ」では、意味が全く違います。「」が「」と一文字変わるだけで仏教に対する姿勢が180度変わります。「上から目線の立場」から「謙虚な姿勢」へと。「仏教学ぶ」というスタンスでありたいものです。
おかげさまで 今日も 南無阿弥陀仏

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