(親鸞)聖人が「他力といふは如来の本願力なり」(「行文類」『註釈版聖典』一九〇頁)と言われたときの「他力」は、阿弥陀仏の「本願力」、すなわち、衆生に教、行、信、証を回向して救済する「阿弥陀仏の利他のはたらき」だけを表す言葉として使われたわけです。それを、法然聖人は「他力には義なきを義とす」(人間のはからいをまじえないことが他力の正しい領解である)といい、親鸞聖人は、それを本願力回向とも他力回向ともいい表されたのでした。
「私どもが救われるのに、私のはからいは一切無用である。私の往生の因も果も、すべて如来の本願のはたらきとして恵み与えくださるからである」と、言い切っていかれたのでした。
【平等への視座 ー対談・歴史的課題と教団ー 梯實圓、上山大峻 本願寺出版社 P108より】
私側からいえば、阿弥陀仏さまにただただおまかせとなります。ここであります「他力の正しい領解」をしっかりしたいものです。
おかげさまで 今日も 南無阿弥陀仏