手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

信によって免疫性をもった人

  信はまた苦悩の免疫性を私どもに与えるものであります。人間であるかぎり、絶対に苦悩が無くなるということはあり得ないことです。どうしても生きているかぎり苦悩はありますが、免疫性のある人のようなものであります。
  肺病の病原体というものがあるそうです。少しもばい菌がおらない健康体というものは、いかに健康体であっても、かえって危険なのでありまして、もしも一旦、ばい菌が少しでも入ると病勢がにわかに奔馬的に進行して、短日月に死んでしまうそうであります。それゆえに保菌体といってばい菌が体内に有りながら、抵抗素ができておる方が、無菌体の人よりもかえって安全であって、そういう人こそ本当の健康者であるということであります。それが心配のない理想的な健康者であって、かえって心配もなく不安もないそうであります。人として生活苦の無い者はないのですが、有ってしかも無い人というのが、即ち保菌者と同じように、信によって免疫性をもった人であります。
【苦の探求 蜂屋 賢喜代(はちや よしきよ) 法蔵館 P58より】

 

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(浄土真宗でいう)信(心)によって免疫性をもった人、
つまり、「南無阿弥陀仏のはたらきに気付かされたひと」は、根底に大安心があります。ですので、日常生活で、つらいこと、悲しいこと、寂しいことに遭遇しましても、うまく対応できるといいますか、発想の転換ができます。人としての命が終わるときまで。そしてその先は、南無阿弥陀仏の仲間入りです。
おかげさまで 今日も 南無阿弥陀仏

 

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