グロバリゼーションやらITについて、世の中賑々しいですね。世界的に、いろいろと猛烈な勢いで動いているようです。でも結局、人類全体としてこれらの事柄を、何のために何をしているのか、みんな全然自覚していないと思う。掛け声は勇ましいんですけれども、自分が何をしたいのかということは、まるっきり自覚していない。
(略)
IT革命で、バラ色の未来みたいなことが言われてますが、一方で無意味な少年犯罪や殺人が確実に増えている。このギャップはいよいよ広がる一方じゃないですか。バラ色の未来と無意味な人殺し、この両方が同時に存在することが、近未来の社会です。それをどうにかしたいと思うなら、精神の原点に返るしかない。
そのためには、ひとりひとりが考えるしかないでしょう。精神というのは自分がそこに存在して、なにゆえに生きているのかを考えるためのものです。ひとりひとりが自分で考えて、それを知る以外にないのです。
一番わかりやすいのは、自分が死ぬということを考えること。明日は必ず死ぬという状況になってみれば「自分の人生とはなんぞや」と、少しは考えるかもしれない。ある死刑囚は、私の著書で目覚めたけれども、逆から言えば、そうならないと、人は気がつかないともいえる。私はもう考えることが宿命みたいなものですが、どなたでも生きて死ぬ限り、同じ問いは何かのきっかけで必ずもつはずです。
【私とは 「私とは誰か」から考えよう 池田晶子 講談社 P220~P222より抜粋】
「私とは何者?」という問いは、人として生きている上でとても大切なことだと思います。そういう問いがでてくるのは、「私は死ぬ」という厳粛な現実が背景にあるからなのでしょう。
今一度、「いま、私が生きている意味」をじっくりと考えてみたいものです。