手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

2015-01-01から1年間の記事一覧

あるインタビューのひとこま

A:この料理いかがですか? B:「おいしいな!」と思います。 口にした料理が本当においしい!となれば、 「おいしいです!」となるはずです。 言葉尻を捉えた解釈かも知れませんが、 「本当においしい!」という気持ちは伝わってきません。客観的な印象を受…

考える

花を美しいと思う時、それは花が美しいのだろうか、それとも自分が美しいと思っているのだろうか。これはどっちが正しいのだろうか。こう考えてゆくと、やっぱり「自分が思う」の正しさについて、考えざる得なくなるね。 中略 「本当にそう思う」ということ…

人生は有限である

リニアモーターカーの実現が近いとか、ニュースで言っていた。「東京大阪間が一時間も夢ではない。」しかし、そんなことを夢見た人が。 そんな人はいないはずだ。三時間なら三時間で、それに見合った予定を人は立てていたはずだ。なのに、技術の側の勝手な進…

このいま生きている

このいま生きているひとは、 高齢者であろうが、青年であろうが、子供であろうが、 このいま生きているという点では、まったく同じです。 先が短い、長いという次元ではなく このいま、生きているという現実をもっと直視するといいますか、 掘り下げて考える…

当たり前なことにありがとう

「ありがとう」という言葉は、なぜかとても照れくさいものです。 何かをもらったり、何かをしてもらったりした時には、普通にその言葉は出てくるものですが、そうではない時、もっとごく当たり前にそれがありがたいような時には、なかなかそれが出てこない。…

そばに寄り添っていますよ〜(2)

私は 私は真弥の南無阿弥陀仏になります 私は啓介の南無阿弥陀仏になります。 私は慎介の南無阿弥陀仏になります。 私は大介の南無阿弥陀仏になります。 私は真吾さんの 南無阿弥陀仏になります。 (中略) 門信徒の方有縁の方々の 南無阿弥陀仏になります。…

そばに寄り添っていますよ〜(1)

我が歳きはまりて、安養浄土に還帰〈げんき〉すといふとも、和歌の浦曲〈うらわ〉の片男浪〈かたおなみ〉の寄せかけ寄せかけ帰らんに同じ。 一人居て喜ばは二人と思ふべし。二人居て喜ばは三人〈みたり〉と思ふべし。その一人〈いちにん〉は親鸞なり。 我な…

後からの後悔は誰もする

隠居様(吉兵衛さん)は皆(みんな)に、 「どうぞ後悔を先に立てて日を送っておくれやあ。後からの後悔は誰もするわや」 と言われた。 【信者吉兵衛 稲垣瑞劔 百華苑 P191より】 ここで、吉兵衛さんは、「後悔を先に立てて日を送ってください!」とアドバイ…

念仏のひと

【詩集 まるはだか(病床記) 竹部 勝之進 法蔵館 P189より】 念仏者、つまり南無阿弥陀仏のおはたらきに気付かされた人は、 阿弥陀さまにまかせきっています。 ですので、上記の詩のように、何時でも安心してねむらせて頂けるのです。 寝てもさめても南無阿…

仏教を学ぶ出発点

地獄はあるのか? 学生から時々、「極楽って本当にあるんですか。阿弥陀さんって本当におられるんですか」という質問を受けます。その回答に「おられるんだよ」と答えれば、「先生、本当におられるのだったら私の目の前に出してくれませんか」と平気でいいま…

お念仏とは

お念仏とは阿弥陀様のお言葉、阿弥陀様の本願のお言葉なのです。これがお念仏なのです。その仏様の本願のお言葉、一口に言えば「私にまかせなさい、必ず助ける。安心して私にまかせなさい」というのが「南無阿弥陀仏」という言葉なのです。「南無阿弥陀仏」…

他力の信心

阿弥陀仏を対象にしてその救済を信じるのではなく、南無阿弥陀仏と称えて、目覚めさせる阿弥陀仏の願いに、うなずく心をいいます。すなわち、すべてを自我中心に生きて迷いを深めている人間が、阿弥陀仏の願いにふれて生き方全体が徹底して糾弾され、ひるが…

お盆と墓参りの意義

お盆の由来ですが、 「盂蘭盆経」に書かれている下記物語からきているようです。 お釈迦様の弟子に目蓮という方がいました。ある日、神通第一といわれた目蓮尊者は、生前自分を大変可愛がって育ててくれた母親が、死後の世界で餓鬼道(がきどう)に堕(お)…

お念仏をとなえましょう

私は、最近は信心ということをあまり気にしなくてもいいから、とにかく口先だけでもいいからまず念仏を称えましょうと、あらゆる機会に言っています。信心を気にしなくてもいいというのは、要らないという意味ではないですよ。とりたてて気にする必要はない…

短命県返上!

わたしが、住んでいる県は、喫煙率、多量飲酒者率、肥満者率、塩分摂取量など、健康関連指標のどれを取っても全国的にワーストレベルです。 その打開策として、短命県返上!というスローガンを掲げ、コマーシャル等で健康への意識付けをしています。素晴らし…

理屈ではない

南無阿弥陀仏は理屈ではありません。 日々、私は空気を吸って生きています!とわざわざ宣言して生きている人はいるでしょうか。それと同じようなものです。 空気を吸っていることを意識するのは、 森林浴で、空気がおいしい!と深呼吸して空気を味わう時ぐら…

フォース

マジック用語で「フォース」という言葉があります。 これは、手品師が意図したトランプカードを、強制的に観客に選ばせることをいいます。 観客は、すべて自分の意思で、そのカードを選んだと思いますが、 実は、手品師によって選ばされているのです。 南無…

最後に届いた手紙 (池田晶子)

池田さんから最後にとどいた手紙は、逝去の四ヶ月ほど前の2006年10月3日付のものである。池田さんの思考の核心部に生まれた一つの変化を語っているように思われるので、少し長いが全文を記しておこう。 拝啓 連載コラムで御作を使わせて頂きましたので御笑覧…

さかさま

仏法を聴かなきゃ始まらないんですけど、仏のはたらきが聞こえてみれば、私が聴いたからではなかった。すでに私のところに仏のはたらきは届いていたんだ、と気づかされるんです。これが浄土真宗の世界です。一般の行動様式と少し違うんです。 だから私たちは…

南無阿弥陀仏

本日、願教寺(岩手県盛岡市)にて聴聞(大峯顕 師)しました。約2年ぶりです(早朝6時〜8時、午前10時〜12時)。 大雨でしたが、こころは日本晴れです(笑)。聴聞はこころの清涼剤ですね〜。 「南無阿弥陀仏に生かされる」という講題でのお話しでした。 先…

マグマ噴出

智慧の念仏うることは 法蔵願力のなせるなり 信心の智慧なかりせば いかでか涅槃をさとらまし (真宗聖典503頁 or 註釈版聖典606頁) というご和讃があります。「智慧の念仏」「信心の智慧」とありますが、面白い言葉ですね。念仏の智慧とは言わず、智慧の信…

わたしの身体も頂きもの

いままで、あまり意識していませんでしたが、最近、ふと思うのです。 わたしの身体そのものも頂きもののように。 やがて、この身体(肉体)とも別れがきます。 しばらくの縁ですので、できるだけこの身体ともうまく付き合っていきたいと思います。 わたしが…

阿弥陀さまによって自覚させられる

人間にとって、最後の問題は自己の問題です。信心とは、自分がなくなることではなく、本当の自分になることです。別の言葉で言えば根源的な自覚です。自覚は哲学者たちが好む言葉だといって嫌う教学者もいますが、先ほど名前をあげた4人の偉い先生方(鈴木…

凡夫の唄

凡夫が仏になる ああ ありがたい ありがたい こんなありがたいことはない 【詩集 まるはだか 竹部勝之進より】 凡夫が仏になる 本来ありえないことが、ありえる 阿弥陀さまの南無阿弥陀仏のはたらきのなせる業です 南無阿弥陀仏のはたらきに気付かされたひと…

念仏者

念仏はわきでるもの いつ何処にいてもわきでるもの 自然に ああ ありがたい ありがたい 【詩集 まるはだか 竹部勝之進より】 「南無阿弥陀仏」のお念仏が湧き出たとき 阿弥陀さまから信心を賜ったときです 賜るといっても、なにかのモノではありません 自分…

阿弥陀さまのお育てにあずかる

親鸞聖人は『高僧和讃』の曇鸞讃で、我々凡夫の心を氷にたとえ、これに対して阿弥陀さまの大悲の心を海水にたとえておられます。凍っている海水が我々の心であり、阿弥陀を信じない我々の心は凍りついているわけです。我々は、誰もが外から来る敵や障害から…

阿弥陀さまと鬼ごっこ

(八二) 十方微塵世界の 念仏の衆生をみそなはし 摂取してすてざれば 阿弥陀となづけたてまつる 【浄土和讃 「弥陀経讃」 浄土真宗聖典 (註釈版聖典)P571より】 摂取して・・・ 「摂めとる。ひとたびとりて永く捨てぬなり。摂はものの逃ぐるを追はへ取るな…

距離感  〜他宗教との違い〜

神様は、天国にいる 死んだら、天国で神様に会える 阿弥陀さまは、ここにいる 生死に関係なく、このいまも寄り添っている この距離感が、他宗教と大きく違います。 阿弥陀さまは、ごく身近な存在なのです。 今日も南無阿弥陀仏。 【早朝ラジオ放送(キリスト…

抱っこナウ(NOW)

「抱っこナウ」 ある講師(真宗合同布教大会)の現代風言い回しです。 阿弥陀さまと私の関係を分かりやすく表現されています。 わたしも使わせて頂きます〜抱っこナウ そして、南無阿弥陀仏ナウ 今日も南無阿弥陀仏

感想  〜第七回真宗合同布教大会〜  ※ネット中継

いろいろな切り口でのお話、非常によかったです。 宗派の垣根を越えた布教大会、素晴らしいです! 「南無阿弥陀仏」に西も東もありません。 勉強になりました! 以下、感想です。 M氏(真宗遇い難し)におきましては、いろいろな意味で感慨深いものがありま…