手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

さかさま

 仏法を聴かなきゃ始まらないんですけど、仏のはたらきが聞こえてみれば、私が聴いたからではなかった。すでに私のところに仏のはたらきは届いていたんだ、と気づかされるんです。これが浄土真宗の世界です。一般の行動様式と少し違うんです。
 だから私たちは戸惑うんです。何かを積み重ねていって結果がわかる、とこれならわかりやすいんですけど、仏さまのはたらきはすでに私のところに届いていたんですね。それを聴かなきゃ始まらないんですけど、聞こえてみたら私が聴いたからその結果があったんじゃなくて、既に初めから私のところに届いておったんだ、と気づかされていくんですね。ここは大事なところです。
【願いに生かされて 森田眞円 響流書房[Kindle版]より】



ここでいわれていることを、先人は
『聞いて助かるじゃない 助けてあるをいただくばかり』といわれています。
私たちの日常生活を考えてみますと
自分(私)が立てた目標に、自分(私)が、努力して、達成していく という生活が染みついています。
ですので、「浄土真宗の信心」においても、自分(私)が聴いて信心を獲りにかかってしまうのでしょう。どうしても、自分(私)の計らいが突出してしまいます。
すでに南無阿弥陀仏のおはたらきの中で生活している環境下、そのはたらきに気付かせて頂きたいものです。それも元気なうちに。この今しかありません。
『いかに不信なりとも、聴聞を心に入れまうさば、御慈悲にて候ふあひだ、信をうべきなり。ただ仏法は聴聞にきはまることなりと云々。』(蓮如上人御一代記聞書より)
今日も南無阿弥陀仏



   オススメです! 是非、読んでみてください〜