手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

お盆と墓参りの意義

 お盆の由来ですが、
「盂蘭盆経」に書かれている下記物語からきているようです。
お釈迦様の弟子に目蓮という方がいました。ある日、神通第一といわれた目蓮尊者は、生前自分を大変可愛がって育ててくれた母親が、死後の世界で餓鬼道(がきどう)に堕(お)ちて逆さ吊りになって苦しんでいる様子を神通力で見てしまいました。飢えに苦しむ亡母に水や食べ物が差し出されても、みな口に入る寸前に炎となって消えてしまいました。
 困り果てた目蓮尊者はお釈迦さまに相談しました。お釈迦さまは、「安居(あんご=雨期の修学期間)の最後の日に全ての僧に食べ物を施せば、亡母にもその施しの一部が口に入って助かるであろう」とお教えになりました。目蓮尊者は教えられたとおり全ての僧に布施を行う、いわゆる衆僧供養を執り行いました。僧たちは飲んだり食べたりして大喜びだったといいます。その結果、逆さ吊りで苦しんでいた亡母も救われたということです。
こうした故事にならって、日本で最初にお盆の行事が行われたのは奈良時代のようです。
                     略
 では、真宗門徒はお盆の仏事をどのようにしたらよいのでしょう。
“門徒もの知らず”“仏ほっとけ”でよいわけではありません。家においてはお仏壇をお掃除し、打敷を懸けお花も立て替え、真宗の作法に則ってお供えとお飾りをして荘厳します。そして家族一同うち揃って勤行をし、お念仏の教えの先達としての亡き人を偲びつつ崇敬しましょう。加えて自分自身が念仏の教えを聞信し、次世代へ伝えるご縁としたいものです
また、お墓へもお参りして、本願念仏のみ教えを伝えてくださった先祖の遺徳を感得するとともに、自らの生き方の糧にする機縁ともなれば墓参りの意義もいっそう深まりましょう
【受教山 了願寺(東本願寺)ホームページ 「盂蘭盆(うらぼん)」より抜粋】
http://ryoganji.jp/houwa89.html



お盆というこの機会に、
このいま、わたしが、人として生きている(生かされている)現実を考えてみたいものですね。
今日も南無阿弥陀仏。



棟方志功のことば ホームページ参照
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