手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

南無阿弥陀仏

本日、願教寺(岩手県盛岡市)にて聴聞大峯顕 師)しました。約2年ぶりです(早朝6時〜8時、午前10時〜12時)。
大雨でしたが、こころは日本晴れです(笑)。聴聞はこころの清涼剤ですね〜。
南無阿弥陀仏に生かされる」という講題でのお話しでした。
先日の吉崎(福井県)での法話の模様を交えながら、「信心について」「蓮如上人の御一代記聞書および御文章」「観無量寿経から王妃・韋提希の救い」「観無量寿経における善導大師の解釈」「哲学者 池田晶子の回想」「南無阿弥陀仏に生かされている」等についてお話し頂きました。
大峯顕 師におきましては、今月で86歳とのことです。その人生経験、哲学者としての視点を織り交ぜながらの話は、他では滅多に聞けないお話しです。凄みがあります。
特に、「信心」について明解にお話し頂きました。
今から500年前の蓮如上人時代と同じく、「聴聞聴聞というけれども、その中身が大事であって、肝心の『信心』のことを忘れている現状があること。
また、大峯師の人生を通して、自分が今こうして生きているのも「南無阿弥陀仏に生かされている」としか思えない、といったお話。
とりわけ、「信心について」「南無阿弥陀仏に生かされて生きている」というお話しが印象に残りました。
南無阿弥陀仏のおはたらきに気付かせて頂けない人生は、意味がありません。
元気なうちに、阿弥陀さまから信心を賜らなければ、何のための人生なのか、全く分かりません。南無阿弥陀仏があってよかった!とあらためて思いました。
阿弥陀さまにおまかせ人生」 ただ、南無阿弥陀仏