手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

雨だれ

 かつて恩師が、私のこの口に「南無阿弥陀佛」の称名が出てくださっているのは、ちょうど雨だれが跳ね上がっているようなものだと教えてくださいました。
 雨だれが滴(したた)り落ちて、石やアスファルトに当たり、跳ね上がる。
 跳ねが上がるというのは、当然雨だれが先であって、雨だれの落ちる前に跳ね上がることはない。
 しかも跳ね上がるのは、石やアスファルトの力ではなく、落ちてきた雨だれの力・はたらきによって跳ねが上がる。
 お称名も同じことが言える。南無阿弥陀佛の名号が雨だれとなって、私のところへ到り届いてくださり、石やアスファルトである私にはその力はなくとも雨だれの力で跳ね上がるように、到り届いてくださった名号が、称名となってこの口よりこぼれ出てくださっているのです。
 阿弥陀如来が「南無阿弥陀佛」という言葉の世界に生きる私に、分かり易いように言葉の如来さまとなって到り届いてくださっているのです。
【お浄土への地図 小林顕英 探究社 P194、P195より】



「雨だれ」という表現、分かりやすいですね。
今日も なまんだぶつ なまんだぶつ