手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

茶碗の模様

 さて、私どこへ行っても申し上げてるんですが、近頃世の中が忙し過ぎるためでしょうか、人間の出会いが粗末になってるんじゃないでしょうか。
 三年前でございました。棟方志功先生なんかと一緒に、日本的な版画の仕事をなさってきた長谷川富三郎先生が、著書を送ってくださいました。読ませてもらっておりましたら、あなたは、毎日食べているご飯の茶碗の模様が言えますか、とありました。はてな、わしの茶碗の模様どんなんだったかいな。字が書いてあったようにも思うし、絵が書いてあったようにも思うしと思うんですが、毎日頂いているご飯の茶碗の模様が思い出せません。わたしだけこんなにぼんやりしているんかな、と思いまして、家内に「お前のご飯の茶碗の模様ちょっと言うてみい」と申しましたら、「さあ?」と申します。亭主がぼんやりしとると女房もぼんやりしてる。ちょうど夏休みで倅が帰って来ておりまして、夕飯の時、倅の茶碗を隠して、「お前の茶碗の模様ちょっと言うてみい」と申しましたら「さあ?」、親がぼんやりしていると子供もぼんやりしている。
 毎日キスしながら、相手の模様が言えない。何とはなしの出会い、よく人の茶碗と間違えんことだという、粗末な出会いやっとるんです。茶碗はこれでも許してくれますが、人間の出会いも近頃こういうことになっとるんじゃないでしょうか。
【いのちとのであい 東井義雄 著 難波別院 P9〜P11より】



御茶碗図(水墨画棟方志功



南無阿弥陀仏』視点から拝読しますと
「(茶碗に)毎日キスしながら、相手の模様が言えない」のところが
南無阿弥陀仏のおはたらき真っ只中にいながら、そのはたらきに気付かせて頂けない」と受けとらせて頂けます。
さりげない文章にみえますが、
そこには著者の「南無阿弥陀仏」目線がしっかりと織り込まれています。
今日もなもあみだぶつ。

                                    


川に沿って岸がある
http://d.hatena.ne.jp/tarou310/20140202