亡くなった自分の親や子どもは、このいま南無阿弥陀仏のはたらきとなって、あなたのそばに寄り添っていますよ、というような話を聞くことがあります。
ここで大事なのは、それは、あくまでも、生前、阿弥陀さまからご信心を賜った人、つまり、生前、南無阿弥陀仏のおはたらきに気付かされた人のことであります。別の表現でいいますと、生前、「南無阿弥陀仏」と報恩感謝のお念仏を称えていた人のことです。
肝心要の『信心』が抜けてしまっていては、まったく意味をなしません。残されたひとの気持ちを配慮しての表現かもしれませんが、そこ(信心)は明確にする必要があります。
浄土真宗の布教使をはじめ、法を説く方におきましては、『信心』についてもっと明確に語って頂きたい、と思います。死んだら、誰も彼も、浄土に生まれるような誤解を招くような話は「ダメよ〜 ダメダメ!」ですね。
今日もなもあみだぶつ。