手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

たすけたまへ

現代では「たすけたまへ」は依頼するだけの意味になりましたが、室町時代はそうではなかったのです。浄土真宗阿弥陀さまに頼んだりしないはずだから、蓮如上人が『御文章』で「たすけたまへ」と言われるのは、親鸞聖人の教えとは違うのではないかと言う人がいますが、そうではなく、まったく同じことを言っておられるのです。われわれが「たすけたまへ」と言うより先に、阿弥陀さまが「たすける」と言っておられるからです。本願がすでに成就して、名号となって私を助けると喚んでおられる声に気付いたわれわれが、「仏たすけたまへ」と言うのです。だから、「たすけたまへ」とは、阿弥陀さまのお助けを受け入れたということです。自分が救済の外に立って、自分の勝手な願いを阿弥陀さまに要求することではありません。
【生命還流 浄土和讃を読む 下  大峯 顕  本願寺出版社 P68より】



私は、(阿弥陀さまの)救済の真っ只中にいるのです。
すでに、南無阿弥陀仏のおはたらきのなかにいる私は
ただお念仏を称えさせて頂くだけです。
それ以外になにもありません。
南無阿弥陀仏の人生、この上ない仕合わせです。
今日も南無阿弥陀仏


たすけたまえ(たすけたまへ)
一般的には「おたすけください」という意味であるが、浄土真宗では、衆生阿弥陀仏に向かって救いを請求(しょうぐ)する意ではなく、許諾(こだく)(聞き入れて承諾する)の義で、「必ずたすける」という本願招喚の勅命を領納(うけいれる)して、仰せの通りに信順している信相をあらわした語として用いられる。
浄土真宗辞典P466より】