手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

棟方志功 の検索結果:

南無阿弥陀仏を会得(えとく)

…)したのをきっかけに、デジタル版を購読しています。さすが、真宗王国の富山です。浄土真宗関連の記事が多く、楽しんでいます。 現在、富山に所縁(ゆかり)のある棟方志功の特集が組まれています。とても読み応えがあります。今回は「南無阿弥陀仏を会得」というタイトルです。「会得(えとく)」という言葉、いいですね~。今現在、「南無阿弥陀仏」を、なるほどと了解できている人(現在進行形です)は、本当に幸せ者です。 おかげさまで 今日も 南無阿弥陀仏 北日本新聞 令和5年10月18日(水)付より

棟方志功の足跡をたどりました(御二河白道図:飛鳥山善興寺)

…(回答)という思いもあります。 飛鳥 住職(飛鳥山善興寺)より、いただきました 善興寺(富山県高岡市)を訪れたのは、先月8月18日(金)。以前から注目していた「御二河白道図:棟方志功」を生で見ることができました。突然の訪問にもかかわらず、快く迎え入れていただきました。「御二河白道図:棟方志功」を解説したプリントもいただき、とてもありがたかったです。滞在時間は20分ほどでしたが、とても印象に残っています。また、今回、母と妻の3人で訪れることができ、とてもよい思い出になりました。

疎開中「他力」の境地に(棟方志功)

…(おんにがびゃくどうず)が紙面にあらわれてビックリしました。内容もとても素晴らしいです。 棟方志功の板画(版画)は、富山で疎開した時期(6年8ヶ月)を境に明るくなった、といわれています。その背景に、阿弥陀さまとの出会いがあったのだ、と推測します。つまり、感応道交(阿弥陀さまと棟方志功の間で)したのでしょう。板画家 棟方志功もそうですが、それ以上に、念仏者 棟方志功に注目しています。 「御二河白道図」 飛鳥山善興寺(富山県高岡市) tarou310.hatenadiary.jp

念仏者 棟方志功(むなかたしこう)

…県南砺市)で過ごした棟方志功の足跡をたどりたい、と思っているこの頃です。 下記(青字)は、念仏者(南無阿弥陀のはたらきに気付かされている)と推察される棟方志功の振る舞いです。 福光で白道舎(びゃくどうしゃ)という道場を開いて聞法と布教に努めていた吉田龍象との出会いは、棟方を大きく育てたようです。吉田は法話行脚しながら道場を経営し、信者と共に、金子大榮や曽我量深らの大徳を招いて法座を開いていました。棟方はその様な法座にはよく聴聞に白道舎を訪ねていました。 ある時、その白道舎で曽…

念仏者 棟方志功

…のだといえる。 【妙好人 棟方志功 太田浩史 響流書房より】 戦時中、棟方志功一家は、戦禍を避けるべく富山県福光(現在の富山県砺波市)に疎開しました。棟方にとって、この福光における6年8ヶ月の念仏に囲まれた生活は、彼の人生において忘れることができない期間となったことでしょう。「南無阿弥陀仏」に出遇う大きな縁となったのですから。 下記にリンク(棟方志功 関連の投稿)を貼っておきます。 tarou310.hatenablog.com tarou310.hatenablog.com

棟方志功(福光時代:富山生活の6年8カ月)に注目しています。

…が掲載されました。 棟方志功(むなかたしこう)についての投稿です。以前から、彼の版画は勿論、彼の仏教に対する姿勢に注目しています。機会を作って、福光美術館(富山県南砺市)に足を運びたい、と思っています。下記に、過去の関連記事のリンクを貼っておきます。関心がある方は、是非ご覧ください。 1)棟方志功のことばです。いままではただの、自力できた世界を、かけずりまわっていたのでしたが、その足が自然に他力の世界へ向けられ、富山という真宗王国なればこそ、このような大きな仏意の大きさに包ま…

いつも使っている茶碗の模様わかりますか?

…前でございました 。棟方志功先生なんかと一緒に 、日本的な板画の仕事なさってきた長谷川富三郎先生が 、著書を送ってくださいました 。読ませてもらっておりましたら 、あなたは 、毎日食べているご飯の茶碗の模様が言えますか 、とありました 。はてな 、わしの茶碗の模様どんなんだったかいな 。字が書いてあったようにも思うし 、絵が書いてあったようにも思うしと思うんですが 、毎日頂いているご飯の茶碗の模様が思い出せません 。わしだけこんなにぼんやりしているんかな 、と思いまして 、家…

念仏者の生き方

…ながらも、たえず本願に呼び覚まされて生かされていることに気付かされる、ことは大変有難いことです。 すべて、阿弥陀さまの南無阿弥陀仏のはたらきのなせる業(わざ)です。 おかげさまで 今日も 南無阿弥陀仏 『御二河白道之柵』 棟方志功 作 ★再掲載★ 福光時代、最後の作品(昭和26年11月) 善興寺:富山県高岡市 棟方志功は昭和20年から戦時疎開のため富山県現南砺市に移住して昭和29年まで在住。 「NHKカルチャーラジオ 文学の世界『歎異抄』と現代 (NHKシリーズ) 表紙より」

念仏者 棟方志功

…のです。 【板極道 棟方志功 P100より】 個人的に、板画家・棟方志功もそうですが、それ以上に念仏者・棟方志功に注目しています。 昨日は、義母のお見舞帰りに棟方志功記念館(青森市)に行きました。 ママチャリ(3段変速)もバカにできません。田んぼ道や裏道(車が通れない道)をぶらぶら自由気ままに走りました(笑)。晴天下、心も体もリフレッシュしたことはいうまでもありません。青森市に20年以上も暮らしていながら、なんと初めての訪館でした。棟方志功 歩みのビデオもみることができます(…

お盆と墓参りの意義

…に、自らの生き方の糧にする機縁ともなれば墓参りの意義もいっそう深まりましょう。 【受教山 了願寺(東本願寺)ホームページ 「盂蘭盆(うらぼん)」より抜粋】 http://ryoganji.jp/houwa89.html お盆というこの機会に、 このいま、わたしが、人として生きている(生かされている)現実を考えてみたいものですね。 今日も南無阿弥陀仏。 棟方志功のことば ホームページ参照 http://munakata-shikou.sakura.ne.jp/munakata/

棟方志功の回心

…た一人例外があって、棟方志功という画伯が、この言葉の真意をまっすぐに受け止めてくれた。富山県福光町の白道舎の二階の落書き(※1)にその証拠がある」と話された。(吉田龍象 書) 【棟方志功の念仏体験 太田浩史 P10、P11より】 太田 浩史(おおた ひろし) 1955年 富山県城端町(現南砺市)大福寺に生まれる 大谷大学卒業。真宗大谷派高岡教区大福寺住職。 高岡教区教化本部長、同朋会館・真宗本廟・真宗会館教導。 日本民藝協会会長 宿業者是本能、即是感応道交 宿業とは、自分では…

親鸞に聞く (津軽編)

…。 ●寺は葬式するだけのところではない、現在ただいま、生きているひとのためのところである。 ●私たちは、生かされて生きている。 ●南無阿弥陀仏と声をだしてお念仏していれば南無阿弥陀仏になる ●南無阿弥陀仏は、いつでも、どこでも、だれでも、となえることができる。 ●南無阿弥陀仏の救いは平等であり、一切の条件はない。 次回は、6月9日(火)に開催されます。 「真宗の土徳と同朋社会 −棟方志功の念仏経験を通して−」(参加費:500円)です。 関心がある方は、ぜひ、参加してください〜

茶碗の模様

…年前でございました。棟方志功先生なんかと一緒に、日本的な版画の仕事をなさってきた長谷川富三郎先生が、著書を送ってくださいました。読ませてもらっておりましたら、あなたは、毎日食べているご飯の茶碗の模様が言えますか、とありました。はてな、わしの茶碗の模様どんなんだったかいな。字が書いてあったようにも思うし、絵が書いてあったようにも思うしと思うんですが、毎日頂いているご飯の茶碗の模様が思い出せません。わたしだけこんなにぼんやりしているんかな、と思いまして、家内に「お前のご飯の茶碗の…

板画家 棟方志功

棟方志功が福光町を引きはらって東京へ出ることになりました。 いよいよ福光と別れ出発した日の情景を棟方は、『苦悶の日々』の中に書き残しています。その日、福光駅は、なごりをおしんで見送りに集まった人で溢れかえり、いつまでも旅立つ棟方の乗った汽車に、手を振りつづけていました。その光景が鮮やかに書かれ、懐かしんでいます。 変人として近寄らなかった人達が、それ程、棟方となじみ合い、尊敬するようになった福光での生活は、棟方をも大きく変えたのです。「私は富山では、大きないただきものをしまし…

南無阿弥陀仏 (棟方志功 作)

【南無阿弥陀仏 柳 宗悦 著 岩波文庫 P267より】

20世紀の美術を代表する世界的巨匠

…品が特に有名である。 【ウィキペディア フリー百科事典参照】 ①南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ) ②蓮如上人の柵 昭和24年 愛染苑蔵 「蓮如上人北国勸化御影越中法林寺里躅飛山光徳寺」と文字が彫られている。 ③赤尾道宗臥象の柵 昭和25年 愛染苑蔵 赤尾道宗心得「ごしょうの一大事 いのちあらんかぎりゆだんあるまじき事」を彫り込んだ作品。 ④知源寺蓮弁 昭和24年 愛染苑蔵 棟方はこの知源寺へよく出かけ、蓮弁などを制作している 【棟方志功 作品集(富山福光疎開時代)東方出版より】

そのまんま他力の真ん中にいる自分だと知らせていただいた

…それは南無阿弥陀仏です、これまで長い間、自力の道を駆けずりまわっていた足が、そのまんま他力の真ん中にいる自分だと知らせていただいた。これ以上の幸せがあろうか」 【板極道(棟方志功 自叙伝)より ※インターネット参照】 『御二河白道之柵』 福光時代、最後の作品(昭和26年11月) 善興寺:富山県高岡市 棟方志功は昭和20年から戦時疎開のため富山県現南砺市に移住して昭和29年まで在住。 ※画像は、「NHKカルチャーラジオ 文学の世界『歎異抄』と現代 (NHKシリーズ) 表紙より」