手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

いつも使っている茶碗の模様わかりますか?

 さて、私どこへ行っても申し上げてるのですが、近頃世の中が忙し過ぎるためでしょうか、人間の出会いが粗末になってるんじゃないでしょうか。
 三年前でございました 。棟方志功先生なんかと一緒に 、日本的な板画の仕事なさってきた長谷川富三郎先生が 、著書を送ってくださいました 。読ませてもらっておりましたら 、あなたは 、毎日食べているご飯の茶碗の模様が言えますか 、とありました 。はてな 、わしの茶碗の模様どんなんだったかいな 。字が書いてあったようにも思うし 、絵が書いてあったようにも思うしと思うんですが 、毎日頂いているご飯の茶碗の模様が思い出せません 。わしだけこんなにぼんやりしているんかな 、と思いまして 、家内に 「お前のご飯の茶碗の模様ちょっと言うてみい 」と申しましたら 、 「さあ ? 」と申します 。亭主がぼんやりしとると女房もぼんやりしてる。ちょうど夏休みで伜(せがれ)が帰って来ておりまして、夕飯の時、伜の茶碗を隠して、「お前の茶碗の模様をちょっと言うてみい 」と申しましたら 「さあ ? 」 、親がぼんやりしてると子供もぼんやりしてる 。毎日キスしながら 、相手の模様が言えない 。何とはなしの出会い 、よく人の茶碗と間違えんことだという 、粗末な出会いやっとるんです 。茶碗はこれでも許してくれますが 、人間の出会いも近頃こういうことになっとるんじゃないでしょうか 。
【いのちとのであい 東井義雄 響流書房より】



「何とはなしの出会い」「粗末な出会いやっとるんです」という言葉が印象的です。この茶碗の件(くだり)を、南無阿弥陀仏の視点からみてみますと、南無阿弥陀仏のはたらきの中で生活している者が、そのはたらきに気付かないで生活している、ことのように捉えることができます。「何とはなしの出会い」は、実は、「何とはなしでの出会い」ではなかったのです。
南無阿弥陀仏のはたらきは、いま・ここで・私にはたらいています。そのはたらきに気付かせて頂くことは、人として生まれた、この上ない幸せです。
おかげさまで 今日も 南無阿弥陀仏