この世の中には、明るい方向と、暗い方向がある。明るい方へ向いている花は早く咲くではないか。暗い方角にある日陰の花は、どうしても花開くのが遅くなる。道を求めるというのも同じことである。もうすでに明るい人生に甦(よみがえ)った人もいる。今甦ろうとしている人もある。やがて甦る人もいるのだ。南無阿弥陀仏の教えに出会っても、早咲きの人もいるし、遅く花開く人もいる。すぐわかる人も、なかなかわからない人も、ともに人生の一大事を忘れずに、教えを尋ねて行きたいものである。そのことについて連如さまは「昨日目覚めた人もいる。今日わかる人もいる。明日にならないと晴れぬ人もいる。人それぞれなのだから、威張ったり、諦めたりすることはないのだ」と教えられた。
【現代語訳 蓮如上人御一代記聞書 如来の眼・私の眼 高松信英 法蔵館 P184、P185 ◉309「早くても遅くても同じ」より】
このいま・ここで・わたしに、はたらいている南無阿弥陀仏です。そのはたらきに気付かされるのは、今に越したことにはありません。阿弥陀さまと、真向きに向かい合いたい、ものです。この文章を読んでいまして、妙好人おそのさんの「団子汁の喩え」(下記リンク)を思い浮かべました。
「南無阿弥陀仏のはたらき」にいつ気付くの?
「いまでしょ!」
おかげさまで 今日も 南無阿弥陀仏
団子汁の喩え(妙好人おそのさん)