手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

願生心

 今ここでお浄土について一言述べておきたいことがあります。私たち現代人は科学的にものを考えるように教育されてきました。だから、ある意味では科学的思考に慣らされています。私たち一人ひとりがお浄土を受け取らせて頂くことが難しい理由の一つです。
 こうしたところから、お浄土と聞きますと、まず、「有るのか無いのか」を問題にしようとするのです。これは実は問い方が間違っているのです。第一歩の踏み出す方向が間違っているのですから、いつまでも問題が解けないのです。
 仏教が伝わってくる長い歴史の中で、素朴な疑問としてはあったかも知れませんが、浄土の実在証明はただの一度も問題になったことはありません。釈尊の経典にも実在証明はありませんし、また、親鸞聖人のお書物にもありません。
 それは、お浄土の有無に問題なのでなくて、お浄土に生まれたいと願うのか願わないのか、つまり願生心の有無が問われているのです。だから、そこから出発しなければ問題は解けないことに気付かなければなりません。曇鸞さまが天親菩薩の願生心を帰命の心であると指摘されるのも、このことを教えんとしたのでしょう。
【わかりやすい往生論註入門講話 久堀 弘義 著 教育新潮社 P54,P55より】



「果たして、浄土はあるのか、それとも、ないのか」と固執するばかりでは、人間に生まれてきた問題解決にはなりません。
「浄土に生まれたい!」と願う願生心こそが、その解決の第一歩である、と示して頂きました。