手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

探しモノ

夏期休暇に入り、マジックグッズの整理をすることにしました。
あまりの商品の多さに、お目当てのレクチャーDVDをどこに置いたのか分からなくなってしまいました。数々のマジックグッズは、3部屋に分散して保管している状況です。
もはや、マジック愛好家ではなくマジックグッズ収集家といった方がよさそうです。案の定、家族は呆れ顔です。
それは置いときまして・・・


そのうちの1部屋は車庫の2階にあります。それぞれの部屋を行ったり来たりと探しまわりますが、いっこうに探しだすことができません。
「片付けているうちに、そのうちでてくるだろう!」とせっせと整理していました。そうこうしているうちに、8時間が過ぎ、片付けも一段落。しかし、肝心の探し物(レクチャーDVD)はでてきません。
その後、夕食・ジョギング・シャワーと一連の日課を終え、自分の部屋でテレビをみようと、リモコンを手にとったときです。なんとDVDプレーヤーの上にその探し物があるではありませんか!わたしが、あちこち探し回らずとも、はじめから「探しモノ」は、DVDプレーヤーの上にあったのです。
このように、「視界にありながら、気が付かない」ということは日常生活でもよくある光景です。


前置きが長くなりました。
浄土真宗は本願力回向の教え、といわれます。先人は、阿弥陀さまの一方通行の仰せに、ただ、「ハイ!」と応えるだけ、とご教示くださっています。つまり、私が計らう必要はないということです。それは、すでに阿弥陀さまに計らわれているからです。
信心は阿弥陀さまから賜るのであって、自分でこしらえるのではありません。
南無阿弥陀仏のおはたらきの中で生かされている状況で、そのはたらきに気付かせて頂けないことはまことに勿体ないことです。
今日も南無阿弥陀仏