手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

2013-01-01から1年間の記事一覧

第82回 願教寺 夏季仏教講座(講師:大峯 顕 師)

南無阿弥陀仏に救われる

本日、第82回 願教寺 夏季仏教講座(講師:大峯 顕 師)に参加しました。 早朝6時からと、今までに経験したことのない時間帯のご聴聞でした。そういう意味でも とても新鮮でした。 願教寺(岩手県盛岡市北山)において、仏教夏期講習会が始まったのは明治39…

聞こえたまま

「聞いたら助かる」「聞けば助かる」というのは、自分中心のはからいからでる言葉です。 「〜したら」「〜すれば」は曲者です。 一方、「聞こえたまま」は、なんの力みもありません。 なんの意識もなしに空気を吸っているかのように自然です。 奥入瀬渓流(…

お念仏

お念仏 1 お念仏には一つの危険があります。本願の名号を自分の善根にしようとする危険、称名にしがみつこうとする危険です。けれども同時にまた、お念仏が他力をわからせてくださるというとことがあります。だから称名念仏が大事なのです。他力の信心に入…

すでに届いている(気付くか気付かないか)

すでに南無阿弥陀仏に包まれている状況下で、阿弥陀さまのおはたらきに気付かないでいることは誠に勿体ないことだと思います。お花畑のど真ん中にいるのに、その花の美しさや甘い香りに気付かないでいるようなものです。 阿弥陀さまのおはたらきに気付かせて…

阿弥陀さまを信じるとは

私たちは、たとえば美しい花に出会って美しいと本当に思った時には、自分を忘れているのです。自分は確かにここにいて向こうに美しい花があると思っているだけなら、美しいという感動は、本当は起こってないのです。自分の我を張っていたら、花の美しさに出…

南無阿弥陀仏のおはたらきの中で

同じ晴れ間の中にいる人々の間で 「今日の天気は晴れでしょうか?」というような会話は成立しません。 それは、晴れ間を感じていない人の会話です。 普通であれば 「今日はのどかですね」「今日はちょっと暑いですね」「太陽が眩しいですね」となります。 表…

梅雨に思う

「もうすでに梅雨は明けていました」と、遡って梅雨明け宣言をすることがあります。 梅雨明けの定義は不明確のようですが、 もし、梅雨明けの瞬間が分かったという人がいるならば、是非、会ってみたいです。 そのヒトは、きっと超人だからです。 たしかに、…

なにのやうもいらず

蓮如上人は、明応七(一四九八)年にお書きになった『夏御文章』第三通で、仏法聴聞の仕方について教えてくださっています。御こころをしづめ、ねぶりをさましてねんごろに聴聞候へ。 (『註釈版聖典』一二一五頁) 蓮如上人の時代でも、お説教が始まるとつ…

善人さま(浄土真宗の視点から)

答えが明示されていないパズルに挑戦して、どうしても解答が見いだせない場合、「問題そのものが間違っているのではないか」と、その問題自体に責任転嫁してしまうことがあります。 本来、向うべきはずの「パズルの解答を見いだす」ことに目がいかず、「パズ…

仏法あっての人生

上代日本に伝わった『仏説無量寿経』の教えを聞いて初めて、この人生は最初から阿弥陀さまの光が照っていたということに気づくわけです。お釈迦さまによれば、法蔵菩薩はこれから阿弥陀如来になられるのではなくて、もうすでになられているのです。なられた…

おまかせ

形がない次元から形になるというところに、真実の世界があるのです。そういう世界に参加するには、形にしがみつこうとすることを止めなければなりません。ここで思い出されるのは、蓮如上人の『御文章』の一節です。「御袖章」には、 ひとすぢにこの阿弥陀ほ…

気づく

阿弥陀さまは、私が信じる前に成仏されて、「お前の往生は名号成就によって解決したから、どうかそれに気づいて私の名を呼んでくれ」と言っておられるのです。この気づくということが、浄土真宗の信心の特色です。阿弥陀さまの喚び声を聞くというのはどうい…

狭い視点

すでに開かれている扉を開こうとする 扉にばかり目を向けていても前進はありません

お育てにあずかる

すべては私が成したことではなく、阿弥陀さまのおはたらきによるものでした。 私は、ありがたくも、与えられる約束の中で探していたのです。 阿弥陀さまのおはたらきに気付かせて頂いてはじめてそのことが知らされました。 それは、聴聞や読書を重ねる毎に、…

柳 宗悦 

日本を代表する思想家・柳宗悦(やなぎ むねよし)は、1889年に現在の東京都港区で生まれる。1910年、学習院高等科卒業の頃に文芸雑誌『白樺』の創刊に参加。宗教哲学や西洋近代美術などに深い関心を持っていた柳は、1913年に東京帝国大学哲学科を卒業する。そ…

誰から聞こうと有難い

真宗の説教者とその聞手との態度を見ていると二つの著しい事柄に出会う。 一つは話手は誰でもよいということである。もとより話上手な人の力、また深い信心の人のはよけい有難いであろうが、話手の如何は少なくとも二次的なことに過ぎなくなる。有難い話なら…

築地本願寺

平成24年度 中央仏教学院通信教育部のスクーリング(築地本願寺)に参加しました。 大変、有意義な2日間でした。南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 ※6/16(日)、17日(月) スクーリング(すくーりんぐ) [ 日本大百科全書(小学館) ] .schooling スクーリングと…

紙一重

確かに、南無阿弥陀仏の声なき声は、ひとりひとりに届いているのですが 右の耳から左の耳へ、スウッ〜と通り抜けてしまっているのです。 しかし、遅かれ早かれ、南無阿弥陀仏を聴いているうちに南無阿弥陀仏と聞こえてきます。 それは、すでに南無阿弥陀仏の…

浄土真宗の視点から

知識をいくら積み上げたところで、技術をいくら磨き上げたところで、なんの解決にもなりません。自己満足の領域です。 『信心』あっての知識であり技術です。

過剰自己愛

自分にご褒美といって、自分のために高級品を買ったり、高級料理を食すひとが多くなってきています。また、自分探しの旅といって、世界各地を旅する人もよく耳にします。 時代の流れでしょうか。 いうならば、「私の絶対化」が進んできているように思います。…

受容体

レセプター

「レセプター」という言葉があります。「レセプター」とは、受容体ということです。簡単にいえば、いろいろな情報を受信する器官ということです。 ひとは、非常に多くのレセプターを備えていますが、自分の関心がないことにおいては、そのレセプターは閉じて…

アミバ 

(北斗の拳より) ※アミバと立場 ちょっと無理がありますか・・・(汗)

立場の違い

登山において、 すでに、山頂に到達したひとは、根底に満足感がみなぎっています。厳しい道程を振り返ることも楽しみのひとつかもしれません。 そうでないひとは、「果たして、無事、山頂に辿り着けるかどうか」不安でいっぱいです。 現在、置かれている立場…

責務でなくて・・・

念仏者の責務について

「念仏者の責務」を語る上で最も大切なことは、まずは、自らが南無阿弥陀仏のおはたらきに気付かせて頂くことである。つまり、わたしが阿弥陀仏から信心を賜らせて頂いて初めて「念仏者の責務」ということに重みが増すと考える。 『教化するひと、まづ信心を…

溢れているビール

至れり尽くせり

この言葉のもっとも相応しい出来事は阿弥陀さまのおはたらきです。 それ以上の「至れり尽くせり」はありません。 阿弥陀さまのおはたらきに気付かせて頂きますと、「南無阿弥陀仏」と自ずとお念仏が口からこぼれでてきます。 それは、阿弥陀さまの「至れり尽…

なむあみだぶつ  いつ聞くか?