手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

念仏者の責務について

 「念仏者の責務」を語る上で最も大切なことは、まずは、自らが南無阿弥陀仏のおはたらきに気付かせて頂くことである。つまり、わたしが阿弥陀仏から信心を賜らせて頂いて初めて「念仏者の責務」ということに重みが増すと考える。
 『教化するひと、まづ信心をよく決定して、そのうへにて聖教をよみかたらば、きくひとも信をとるべし。(御一代聞書)』といわれた蓮如上人の言葉が胸に響く。
 教書に示されている言葉に「阿弥陀如来の本願力によって信心をめぐまれ、念仏申す人生を歩み、浄土で真のさとりに至るのが浄土真宗であります。このみ教えを聞き、それに信順して生きぬくところに信心の行者の姿があります。その生活は、如来の本願を究極の依りどころと仰ぐとともに、罪悪生死の凡夫であることにめざめた、喜びと慚愧の生活であります。さらに、如来の大悲につつまれて、人間相互の信頼を確立した御同朋御同行の生活でもあります。そこに、自分だけの殻に閉じこもらず、自分自身がつくりかえられ、人びとの苦しみに共感し、積極的に社会にかかわってゆく態度も形成されてゆくでありましょう。それが同時に、開かれた宗門のあり方でもあります」と信心に生きる生活指針が示されている。これは、浄土真宗教義の根本を的確にかつ簡潔に表現されている。
 つまり、「まずは、自らが阿弥陀仏の本願力によって信心にめぐまれ、念仏を申す身になることである。そして、自分だけの殻に閉じこもることなく、他人のいたみをいたみとし、他人の苦しみを苦しみとして共感していく。そしてなによりも、南無阿弥陀仏のみ教えをひとりでも多くの方に知らせていく態度こそが「念仏者の生活」であり「念仏者の責務」であるといえよう。
【中央仏教学院 通信教育テキスト 寺と教団(二年次 学習課程)参照】



通信教育レポート試験の課題(寺と教団)をまとめてみました。
ちなみに、課題は、
「教書」とテキストの『教書の精神』を読んで、念仏者の責務について、あなたの考えを具体的に論述しなさい。です。


【現代語訳】
人を教え導こうとする人は、まず自分自身の信心をしっかりと定め、そのうえで御聖教を読みその趣を語り聞かせたならば、必ずや聞く人も信心を得ることであろう。(蓮如上人御一代聞書)