手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

おまかせ

形がない次元から形になるというところに、真実の世界があるのです。そういう世界に参加するには、形にしがみつこうとすることを止めなければなりません。ここで思い出されるのは、蓮如上人の『御文章』の一節です。「御袖章」には、


ひとすぢにこの阿弥陀ほとけ御袖にひしとすがりまゐらするおもひをなして
              (第二帖第一三通、『註釈版聖典』一一二九頁)


と言われています。これは阿弥陀さまの袖を両手でつかんで、どうか助けてくださいとしがみつくことが信心だと言われているように思えますが、そうではありません。阿弥陀さまにはしがみつけないのです。しがみつくと消えてしまわれるのです。しがみつくのは、信心ではなく疑いの心だからです。しがみつかないで阿弥陀さまにまかせきった心を、わかり易く「ひしとすがる」と言われているのです。私が阿弥陀さまをつかむことではなく、阿弥陀さまに私がつかまれることが信心です。
【永遠と今 浄土和讃を読む 上 大峯 顯 本願寺出版 P136,P137より】



前回に引き続き、「永遠と今 浄土和讃を読む 上 大峯 顯 本願寺出版」からの抜粋です。「浄土真宗の信心」について、お聖教を根拠に、いろいろな切り口から非常に分かり易く紹介されています。私見ですが、「浄土真宗の信心」について明確により分かり易く紹介されている著書はあまりないように思います。この本では、至るところに「浄土真宗の信心とは何ぞや」について噛み砕いて非常に分かり易く紹介されています。阿弥陀さまのおはたらきに気付かされた人においては、ウンウンと頷ける箇所が多々あるでしょう。また、そうでない人においても、参考になるところが随所にみられると思います。お勧めです。