手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

宿善について 2

蓮如上人御一代聞書』のなかに、蓮如上人仰せられ候ふ。宿善めでたしといふはわろし、御一流には宿善ありがたしと申すがよく候ふよし仰せられ候ふ (『註釈版聖典』一三〇七頁)といわれたものは、浄土真宗の宿善の特徴を見事にいい表されています。「宿善めでたし」というのは、自分が善根を積んだからこそ、こうして法に逢うことが出来たと、宿善を自分の功績として誇っているから自力の宿善観になります。しかし「宿善ありがたし」というのは、自力の修行をしたことも含めて、すべては阿弥陀如来のお育てのたまものであったと味わう表現ですから、浄土真宗の宿善観としては最もふさわしいといわれたものです。
ともあれ宿善とは、自分がいま思いがけなく尊いみ教えに逢い、救われた慶びと感動を、遠い過去に遡って表現している言葉であって、宿善を積み重ねることによって教えに逢おうとするような次元の教説では決してなかったのです。
聖典セミナー 口伝鈔P40,P41 梯 實圓 和上 本願寺出版社


≪現代語訳≫
蓮如上人御一代聞書(二三三) 蓮如上人は、「宿善がすばらしいというのはよくない。宿善とは阿弥陀仏のお育てのことであるから、浄土真宗では宿善がありがたいというのがよいのである」と仰せになりました。
蓮如上人御一代聞書(現代語版)P152 本願寺


【手品師コメント】宿善について、教えて頂きました。宿善は、まるっきりすべて阿弥陀さまのおはたらき、お育てのたまものなんですね。まことにありがたいことです。南無阿弥陀仏