手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

聴聞の最前列を占める人たちの心境

聞いて、手ぶらで帰るのです。帰るときには、元の木阿弥になって帰るのが、ほんとうに仏教を聞いた人なんです。浄土真宗の信心は、これですね。しっかり聞かせてもらって、これで大丈夫と。ほかには何もない。生きていくためとか、幸せとか、そのようなことと違う。とにかく、生死の問題、これ一つ気がかりで聞きに来ているのだと、これが一番熱心な人です。
しかし、熱心な人に、一番問題があります。なぜかというと、生死の問題の解決は、信心しかないわけですから、そのご信心をよく聞かせていただいて、人間の問題、生死の問題を解決して、安心して大丈夫になって帰りたい、これが往々にして見られる聴聞の最前列を占める人たちの心境です。しっかり聞いてと、目も光っています。しかし、この心が問題になるのです。その点、信心を握って帰らない人は、空っぽで満足の人です。全然とらわれていないからです。大切なのは、この違いに気づくことです
【人間の願いと如来の願いP109、P110 より 豊島 学由 師】


【手品師コメント】
聴聞の最前列を占める人たちの心境」って分かるような気がします。信心をつかみにいっているのだと思います。信心はものがらではないぞよ!と、加茂和上(だったと思います)が仰っておられていたのを思い出しました。あと「手ぶら」「空っぽ」ってよい言葉ですね。まことにありがたいです。南無阿弥陀仏