極重悪人唯称仏 我亦在彼摂取中
煩悩障眼雖不見 大悲無倦常照我
極重の悪人はただ仏を称すべし 我亦彼の摂取の中にあれども
煩悩眼を障えて見ずと雖も 大悲の倦(ものうき)ことなくして常に我を照したもうといえり
【大意】
極重の悪人は、他の方法では仏になることができないから、ただ阿弥陀如来の名号を称えなさい、かならず摂取不捨の光明のはたらきで、浄土に往生することができます。私もその人々と同じように称名して、彼の摂取不捨の光明の中にあるのであります。煩悩のために眼を障えられておるので、その光明を見ることはできませんが、如来の大悲の光明は、少しも倦むことがなくて、いつも私の身を照らし護って下さるのであります。
【正信偈に聞く 桐溪順忍 集 教育新潮社 七 源信和尚の大悲無倦の感懐 P169より】