手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

浄土往生について 〜何かたしかなものがほしい〜

浄土往生について、何かたしかなものがほしいということは、浄土願生者のだれでもがもつ願いでありましょう。しかも、たしかなものは、凡夫の世界ではおこるはずのないものであります。ただ、そのたしかを、人間の相対の世界で得るのではなく、如来の力にみようとするところに、ここの文(※下記、記載)の深さがあるのであります。私には見えないのは当然でありますが、見えても見えなくても、如来は常に照らし護って下さるのであります。
正信偈に聞く 桐溪順忍 集 教育新潮社  七 源信和尚の大悲無倦の感懐 P171〜P172より】



阿弥陀さまに救われたという、「なにかたしかなものが欲しい!」という思いや気持ちは
よくわかります。
しかし、ここで述べられていますように
『たしかなものは、凡夫の世界ではおこるはずのないものであります。ただ、そのたしかを、人間の相対の世界で得るのではなく、如来の力にみようとする・・・』と説明されています。
南無阿弥陀仏とお念仏が溢れるか否かです。ただそれだけであります。
いうならば、たしかなものは南無阿弥陀仏であります。