手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

還 相

 『華厳経』の偈には、
 「ひとたびほとけを目にすれば  悪の障りは消えるだろう」
と歌われている。一度見るだけでもこれほどなのだから、まして常に仏を目の当たりにしている極楽の人々は、何ものに対しても固執することなく、自由自在に行動できる。
 すべての生きとし生けるものに対して大悲の心を起こし、滞りなく仏道を邁進して真如の智慧を得、ついには必ず菩薩の最高位に到達し、すみやかに仏の悟りを完成する。その後、衆生済度のために生身の仏のすがたを現し、縁に堕って清らかな仏の世界への往生を願わせるのである。ちょうど我らが今、極楽への往生を願っているように。さらに、あらゆる世界を訪れてそこに暮らす人々に救いの手を差しのべる。これまた阿弥陀仏が大悲心より起こされて本願を手本とした活動である。
 極楽に往生すればこのような利益にあずかることができるのである。なんと楽しいことではないか。
 一生涯の修行など、ほんのわずかの時間ではないか。どうしてすべてを棄ててひたすら
往生浄土を求めようとしないのか。行者たちよ、どうかお願いだから、決して怠ることなく努め励んでほしい(大半は『無量寿経』と天台『十疑論』等の意を取って記した)
 龍樹の造った偈には、
 「阿弥陀如来の世界には     罪人悪人共になし
  往生した者みな悟る      ゆえに阿弥陀を礼拝す
  阿弥陀如来の功徳説く     わが善根は海のよう
  その善みなに分け与え     共に極楽目指したい
  もろともにみな連れだって   極楽浄土に生まれたい」
と歌われている。
【往生要集 上 源信[著] 梯 信暁[訳注] P176,P177より】



南無阿弥陀仏のはたらきに気付かされ、衆生済度の仲間入りにさせて頂くことのありがたさは言うまでもありません。このいまも、多くの仏さまがこの娑婆世界を訪れて、救いの手を差しのべておられるのでしょう。
ここでは、
「極楽に往生すればこのような(あらゆる世界を訪れてそこに暮らす人々に救いの手を差しのべる)利益にあずかることができるのである。なんと楽しいことではないか。」とあります。「なんと楽しいことではないか!」いいですね〜。
おかげさまで 今日も 南無阿弥陀仏