信心決定した人は御仏の摂取の光明の中に摂(おさ)められている。しかし私どもは肉眼では煩悩にさえられて見ることができぬ。光は見ることができぬが、念仏によって眼に見えぬ光を私どもは感ずる。足元が明るい、先が明るい。前途の光が自分の足元を、わが…
仏教では〝生死(しょうじ)〟と言う。世の中一般の人は、〝死生〟と死の方を先にして言う。私どもは死を忘れれば生の尊さもわからぬ。生は絶対的なものだと言うが、こういうのは、死を裏においてこの生は絶対的と言うのであろう。生と死が一枚の紙の裏表で…
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