手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

仏さまの教え

 

仏教を学ぶには分別的な知性がいちばん悪いのです。何が悪いったって分別がいちばん悪い、というのが仏さまの教えです。教義の概念を頭で理解してそれで事足れりとするのは仏教の精神に最も遠いわけです。言葉の意味を知的に分別してわかるだけでなく、その生きた精神に触れて、それを直接心に感じるということが大切です。どんなに教学を熱心に研究しても、信心がなかったら決してお浄土には参れません。助けると言って下さる如来様の言葉を真受けにしなければだめなのです。真受けというのは、丸ごと、そのまま受け入れるということです。

【誓願の不思議 『歎異抄』第一条 大峯 顯 百華苑 P9より】
 

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「丸ごと、そのまま受け入れる」
つまり、理屈なしに「南無阿弥陀仏」ということです。実際、阿弥陀さまと私の間に距離はないのですが、わたしの方から距離をおいているのです。(阿弥陀さまに対して)私の分別や計らいがあるうちは、その(阿弥陀さまとわたしの)距離は埋まりません。
おかげさまで 今日も 南無阿弥陀仏
 

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