手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

私の生死問題

 

 お経を死者たちに回向すれば、死者たちがその功徳を得て、成仏するだろうというように一般には考えられています。浄土真宗以外の宗派ではほとんどそうなっていて、そこに何の疑問を持たれないようです。これは、仏教が自分自身の問題ではなくなり、死者という他人の問題になってしまった結果です。しかし仏教とはあくまでも、ここに生きている自分自身の問題なのです。自分が仏に成ってゆく道が仏教です。

 仏さまの教えによれば、この世で仏法に出会って、如来さまの救いを信じることができずに死んでしまった人は、死んでも娑婆を出られないわけです。娑婆というところは何度も死んだら生まれたりする世界です。人間は一回死んだらそれでおしまい、と多くの現代人は思っているかもしれませんが、それは自分たちが勝手にそう決めこんでいるだけの話でありまして、あまりあてになりません。この人間の存在、人生はいったい何のためのものであるかということを本当に知っていらっしゃるのは、いうまでもなくて如来さまなんですね。もっとわかりやすく言えば、お釈迦様なんです。お釈迦様がはじめて、人間は何のためにこの世に生まれてきたのか、そして死ぬということをどういうことかを知り、それを教えて下さったわけです。みんなが持っているこの大事な生死問題に、現代の人々は気づかずに死んでしまうのですけれど、お釈迦様はその事を徹底的に考えられたんです。そこがやっぱり仏さまになられた人と我々との違いだと思います。

【『歎異抄』第四条・第五条 大慈悲心 大峯 顯 百華苑 P4,P5より】

 

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「人間、生まれたからには必ず死んでいかねばならない」ことは、誰でも分かっていることです。しかし、「私が死ぬ」となると、どうでしょうか。死は他人事、になっているのが現状ではないでしょうか。「私の生死問題」について考える時間はとても大切だと思います。

おかげさまで 今日も 南無阿弥陀仏

 

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