手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

仏法とは

 

「私はこの世をいかに楽しく明るく豊かに生きるかということのために仏法を聴いています」、もしこういうふうに思って来られたら、これは根本から考え直さなくてはいけないと思いますね。そうではなくて、いったいこの自分は何のためにこの世に生まれてきたのかという根本的な問題、永遠の謎というものを解くところに仏法があるんです。何故謎を解かなければいけないかというと、その謎が謎である間は私たちにはとうてい安心して生き、安心して死ねないからです。

 謎を解くといっても別に自分の頭で考えて解くんではなくて、謎はとっくに仏様によって解かれていたということに目覚めるということです。そうしたら死んだって大丈夫ですという平和な心境が得られます。いつ死んだって如来様の力でお浄土に生まれて、仏様にしていただくことに決まっている。私はそのことに何の心配もいたしておりません、という心を命のある間にいただいて人生を前向きに生きてゆく。これが仏法であります。これ以外に仏法はありません。仏法はただそれだけのことです。

【『歎異抄』第七条・第八条 無碍の一道 大峯 顯 百華苑 P5より】

 

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仏法は現世利益のためにあるのではありません。私の生死問題解決のためにある、といってよいでしょう。すでに届いてある南無阿弥陀仏のはたらきに気付かされている、知らされている人生の前途は明るいのです。行き先が明確になっている人生ともいえます。人生の白黒がついたのです。死にたくないけど、死ぬことの不安はありません。阿弥陀さまにおまかせの人生です。煩悩渦巻く人生ですが、根底は大安心なのです。

おかげさまで 今日も 南無阿弥陀仏

 

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