暗い世界を如来様の光が照らしてくださるのです。人には見せられないどころか、自分でもわからないはらわたの中まで如来の光がとどいている。それが「念仏の衆生を摂取して捨てず」です。〝仏様のみ名を称えるものを摂取して捨てないというたのもしい光明”それがお助けです。だから、お助けはどこで起こるのかというと、その光を浴びた今ここで起こります。如来様の言葉を素直に受け容れたときにもう助かるのです。この明らかな真理を抜きにしたら浄土真宗ではありません。死んで極楽浄土へ行ったら助かるんだろうぐらいに思っている人は助かっていない人でありましょう。自分が今どこにいるかを知ってないからです。今ここで助かってない人は死んだところで決して助かりません。これが一番大事なことです。
【『歎異抄』第十一条 誓願か 名号か 大峯 顯 P8、P9より】
〉如来様の言葉を素直に受け容れたときにもう助かるのです
如来様の言葉、つまり「南無阿弥陀仏」」です。
南無阿弥陀仏のはたらきに気付いたとき、私の心に花が咲きます。生きてよし、死んでよし、すべてよし、なのです。
「念仏の衆生摂取して捨てず」
なんと心強い言葉なのでしょう〜
おかげさまで 今日も 南無阿弥陀仏