手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

私の思いや考えを超越した「広大無辺の世界」

 

仏法の世界というものはもともとそういう広大無辺の世界なんです。私の念仏とか、私の信心とかいう、そういう「私の」という我執の心を離れたところに仏法があるわけです。私だから今日はお寺へお参りしたというような気持ちがちょっとでも入っておりましたら、それはもうやはり本当のお念仏ではないんでしょう。あの人は今日はどこかへ出かけているけど、あれは不信心だからお寺に来ない。私は信心があるから来た。そういうふうに思った途端に、それはもう親鸞聖人がおすすめ下さる他力の信心ではなくなるのです。信心というのは如来様の心を私の心にいただいたことなんですから、それはもはや自分の心ではないんです。ここのところが一番大切で、また難しいんです。

【『歎異抄』第六条 弟子一人ももたず 大峯 顯 百華苑 P12、P13より】

 

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「私の」という狭い世界の殻に閉じこもって、アレコレ思ったり考えたりしたところで何の進展も解決もありません。「阿弥陀さまにおまかせ」あるのみ、なのでした。

おかげさまで 敬老の日も 南無阿弥陀仏

 

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