手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

阿弥陀さまと真向きに

 私はマジックにハマっています。その魅力のひとつとして、固定観念を超えたところを突くところ、があります。いうならば、1+1=2という世界ではないということです。1+1=10にでも100にでも1000にでもなる世界です。ですので、どんなに頭の良い人でも、簡単にそのトリックにひかかってしまいます。そこがマジックの醍醐味であり凄いところです。固定観念を超えたところを突かれますと、皆、お手上げです。
 さて、「南無阿弥陀仏のはたらき」について述べてみます。私の計らいを超越したはたらきが、いま・ここで、私にはたらいているとしたら、皆さんはどう考えますか?本当にそうであれば、そのはたらきに乗っかるといいますか、従うのが賢明ではないでしょうか?
 といいましても、「南無阿弥陀仏のはたらき」と言われても信じ難い、という方が大半だと思います。この辺りは、仏縁としか言いようがありません。「仏教(浄土真宗)は聴聞に極まる」と蓮如上人(浄土真宗・中興の祖)はご教示下さっています。繰り返し繰り返し聴聞していくことで、「南無阿弥陀仏のはたらき」に気付かされるときが必ず来ます。時間の問題です。まずは、いま・ここで・私が生かされていることへの驚きや疑問がもてるか、というところが大事ではないでしょうか。
 ここで、留意したい点としまして、「聴聞したら阿弥陀さまに救われる」「聴聞すれば南無阿弥陀仏のはたらきに気付かされる」というのも違います。阿弥陀さまの救いに、「〜したら」とか「〜すれば」という条件はありません。聴聞といいましても、聴聞固執するのではなく、阿弥陀さまと真向きになることが大事です。肝心要の阿弥陀さまの存在が抜けてはいないでしょうか?
 「南無阿弥陀仏のはたらき」の真っ只中で生活している状況下で、そのはたらきに気付かされずに一生を終えることは、誠に勿体ないことです。
「いま ・ここで ・私が 南無阿弥陀仏
これに限ります。


おかげさまで 今日も 南無阿弥陀仏