手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

心は明るい

 

蓮如さまは、教えられた。「『私は、阿弥陀如来の明るい眼にめぐりあったから(南無阿弥陀仏のはたらきに気付かされたから)もう阿弥陀如来に助けられた者だ』と言うのは、この世で悟りを開いて仏になるという、偉い人の悟りの仏教とまぎらわしいからよくない。素晴らしい阿弥陀如来の心とめぐりあったのだから、助かったことには間違いないが、私たちが『助かった』と思うと、すぐに私は偉いんだぞ、という迷いの心を離れることができないから、『必ず助かる身にさせていただいた』と言うのが正しい」と。そして、「私たちが、阿弥陀如来の明るい眼に(南無阿弥陀仏のはたらきに気付かされ)頭が下がったとき、もう二度と迷いの世界に戻らない身にさせていただく。外から見れば、今までと少しも変わらない姿で生活しているのだが、心の世界はもう明るい。これは自然の道理である。言い換えれば、釈尊の悟りの境地(涅槃)なのだが、私は悟りを開いたなどと言わないだけである」と教えられた。

【現代語訳 蓮如上人御一代記聞書 高松信英 法蔵館 P126(●204 「形は変わらず、心は明るい」)より】

 

南無阿弥陀仏のはたらきに気付かされている人とそうでない人の違いは、心の世界が明るいか否か、です。歳をとって外見が変わろうが、心は明るい。それは、このいま、南無阿弥陀仏にめぐりあえているからです。本当にありがたいことです。

おかげさまで 今日も 南無阿弥陀仏