手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

人生の分かれ目

 

 人生にさまざまな障碍(しょうがい)と挫折はつきものである。この世に生まれてきたかぎり、労と病と死と、愛するものとの別離と、憎しみあうものとの出会いを避けて通ることはできない。誰しも平穏無事な先活を願わない者はないが、平穏無事に生きられるようにはできていないのが人の世である。神に祈願しようが、仏に祈りをささげようが、逃げることも避けることもできない怖しい出来事に遭遇することもあるし、どうしようもない苦悩に責めさいなまれることもある。どんなに注意深く生活していても、何が起こって来るかわからないし、また何が起こって来ても不思議でないのが人生なのである。

 ただ、その障碍と挫折の苦悩が、空しい繰り言(ごと)の材料として終わってしまうか、それとも苦難と危機を、人生を超えた真実を味わい確認する機縁となるように生かしていけるか否かが人生の分かれ目になるのである。

【精読・仏教の言葉 親鸞 大法輪閣 梯 實圓 P146より】

 

 何が起こるかわからないのが人の世(人生)です。南無阿弥陀仏のはたらきに気付かされている人は、悲しいこと、苦しいこと、つらいことなどの苦難に遭遇したとき、真実(南無阿弥陀仏のはたらきの中で生かされていること)を味わい確認する機会となります。真実(南無阿弥陀仏のはたらき)に気付くか否か、人生の大きな分かれ目です。

 おかげさまで 今日も 南無阿弥陀仏。